自己紹介


はじめまして。近藤紀文と申します。
当ブログにご訪問頂き、ありがとうございます。

このブログでは演奏会(ライブやコンサート)参加の履歴や
日常生活で思ったことについて、様々な視点で書いていきます。

どうぞよろしくお願いいたします。


2016年12月26日月曜日

将軍様御用達日本製楽器

2015年12月12日というから、ちょうど1年前か。

北朝鮮の美女演奏家軍団モランボン楽団(牡丹峰楽団)が、
初の海外公演である北京公演をドタキャンして
帰国したことが世界的話題になった。

このモランボン楽団の公式公演DVDが日本でもリリースされた。
筆者が入手したのは、2014年4月16日と2015年4月27日(というから、上記事件の直前だ。)、

ともに軍人祝賀会として公演されたものだが、
後者は人民文化宮殿が会場というから、日本でいうなら
赤坂の迎賓館に軍の幹部を集めて祝賀会をした模様を録画したようなもの、
というイメージだ。

この画像を見るなり、いきなり上記ドタキャンの理由が分かった。

当時から、単純に中国側は「業務上の行き違い」を理由にしていたが、
むべなるかな。

北朝鮮のレパートリーは「将軍様」「元帥様」「朝鮮労働党」の奉祝歌、
奉賛歌しかない。

さらには金日成、金正日、金正恩個人崇拝の曲も目白押しときているから、
文化大革命までの中国なら「まあええか」で済んだだろうが、
今の中国ではそうはいくまい。

おまけに、北朝鮮はその少し前、制止する中国を無視して
水爆実験をやると公言したから(2016年1月6日、本当にやった。)、当時、
中朝の仲は最悪だった。

このような民生用ビデオ、それも自国奉賛の、
ある意味洗脳用ビデオであっても、ボロは出る、というか、
隙間、節穴からその国の実体は漏れる。


筆者、映像を見ながら笑い転げたのは、
映る楽器がことごとく日本製(の格安物)であったこと。

居並ぶヴァイオリンやたった1基のチェロはヤマハのサイレントシリーズ、
ピアノは演奏者が映るたび、「YAMAHA」のロゴが写る。
これも丈が短いから、グランドピアノを模したヤマハのサイレントだろう。

そしてキーボードは聴衆側からみても丸見えの「ROLAND」。
金管楽器はなく、木管楽器はサックスが1本だけで、
フルートの音はキーボードで合成しているらしい。

要するに、北朝鮮では自国で楽器を製造する能力はないものと見た。


日朝間では経済封鎖がされている中で、どうやって手に入れたかが
気にかかるところだが、共産主義国では安物買いには安物買いの理由がある。

あのピアノがスタインウェイであったとしよう。

その購入責任者は、何かの政争のおりには
「ブルジョア的楽器を買った」で粛清のネタにされてしまう。

現実に、バリバリの共産主義国であったころのソビエトだったかの外交官が、
欧州の赴任地のパーティーで高級ワインを飲んだことが知れ渡り、
「反革命的ブルジョア主義行動だ」として失脚のネタにされた。

そういう意味では、日本製の格安サイレント楽器は、
かの国の音楽文化の向上(?)とともに、音楽関係者の首をつなぐ、
非常に重要な役割を果しているのだ。

2016年8月11日木曜日

がんばれカタカナ

国際社会の中で、日本語公用文字は実に特異な存在だ。
義務教育修了時に習得しなければならない字数は、ひらがな、カタカナ、
さらにローマ字表記の大文字・小文字も加えると、表音文字だけで150近い。
 
その中で、筆者周辺の西欧人に限るが、
表音文字としてのカタカナに対する評価は極めて高い。


以下は、筆者周辺の西欧人のカタカナの評価について。

(1) 直線が多くて書き易い。

理由としては、
   
字数は、同じ表音文字アルファベット二六文字と比べると倍近いが、
カ行以下の字は、そもそもは子音字・母音字二字で書かれるべきものが
一文字で構成されているからであろう。

子音字・母音字分離の西欧的文字表現原則からすると、非常にユニークだ。 
   

(2) 読み方のルールに規則性が高い。

これは英語が最たるものだが、『 a 』 と書いて、アと読むときもあれば、
オと読むとき、エイと読むときと、母音の発音に一貫性がない言語と比べれば、

一字一発音の割振りに例外がないのは、いかにも約束を違えない
日本人の精神性に相通じるものがある。


ただ、唯一の難点として、
どの西欧人も挙げるのが、ラ行にRとLの明確な区別がないことだ。



例えば、今、アメリカでは大統領選挙の真っ最中だが、
選挙は英語で 『 ELECTION 』。


カタカナで書けば、エレクションとでもなるのだろうが、
この 『 L 』 の本来の発音を、日本人は明瞭に発声し難い。

何の気なしにべらんめえ調でR発音したら・・・!


ということで、西欧諸国人にすれば、
100字近いカタカナ、ひらがなを学んだ先に待っているのは、
新聞レベルで1000語を超える漢字語を覚えること。

多くの外国人は、この時点で 「 日本語覚えるのは、や~めた 」 となるらしい。



合計すれば、4種の文字、アルファベット大文字、小文字、
さらに筆記体まで含めれば六字体を公用文字にしている日本語は、
やはり、普通ではない。

ただ、ほとんどの西欧言語の名詞には、
『 男女、または男女中性の性別 』 があり、
あれを覚えるのは漢字並みの苦労だという人もいる。

その点、英語は、字種は少なく、
書くことだけに絞れば、規則性のない母音発音に悩まされることもない上に、
西欧言語で唯一、名詞を性別に分けるという言語構造がない。


これがビジネス文書界で優位性を保てる原動力であろう。





















ヘンデルの掛けた保険

英国は紳士の国を標榜しながら、その実、世界有数の賭博大国でもある。

ブックメーカー、すなわち 『懸け屋』 なる商売が合法的に存在し、
森羅万象、世間に起きるあらゆることを貪欲に賭けの対象にする。

保険という制度も、この英国流賭博の一形態としてスタートした。

物資・財宝を満載した商船がテムズ川を船出する。

船主が賭け金を出し、金持ちたちが出資した組合と、船の安否に関する賭けをする。

船が、積荷と寄港各地の名産品とを交換取引し、
無事帰港となれば、世界の珍品を満載した船は、まさに宝舟。


組合側も、もらった賭け金を丸取りかつ、分配できるから、
双方いいことずくめの万事良しである。

しかし、船が遭難し、沈没の惨劇ともなれば、
組合はあらかじめ賭けた ( というか、契約した) 金額を、家財を売り払ってでも
船主に支払わなければならない。

これぞ有名なロイズを始めとした、保険組合の誕生である。


ドイツで生まれ、英国で大成した作曲家ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデルと言えば、
ハレルヤ・コーラス等の名曲でおなじみで、日本では “ 音楽の母 ” と呼ばれ、

小中学校の音楽室の後ろ壁を飾る肖像画の定番の一人だが、
この人、実はなかなかにバクチ的人生を送った人だった。 

 
独ハノーヴァー選帝侯の宮廷楽長という職を得ながら、
興業主の厚遇に欲が出て、
出張したロンドンで作曲・公演したオペラが連続大ヒットの大当り。

味を占めたヘンデルはロンドンに居着いてしまい、
ついには宮廷楽長職を事実上放棄してしまった。


しかし、史実は奇なり。

ヘンデルのかつての雇主ハノーヴァー選帝侯ゲオルクが、英女王の死去に伴い、
王位継承権からジョージ一世として英国王に即位することが決まる。


内心穏やかでないのはヘンデルだ。

再び自分の住む国の王となったジョージ一世は、ハノーヴァー候時代、
不倫した妻を32年間も幽閉したことで、
世間的には好虐的性格と思われていたから、たまらない。


名実共に自分の首をかけた大博打に打って出た。


王即位後間もなく、テムズ川で催された舟遊びのサプライズで、
楽員たちが乗った船が王の船に近付き、組曲を演奏し始めた。

ヘンデルの代表作であり、バロック音楽と言えばこの曲、『 水上の音楽 』 の誕生である。


曲といい、演奏されたタイミングといい、王はいたくこれが気に入って、
ヘンデルの前科を許したというのが通説だが、

実際はヘンデルの名がロンドンでは有名になり過ぎていて、
王も過去のことで処罰などできる状態になく、

ヘンデル自身もそのことを心得た上で、
さらに安全のための保険を掛けた、と見る説も有力だ。
 

保険誕生の地ならではの発想だ。

 

2016年8月10日水曜日

華のある曲

人を褒めるのに使う言葉で “ 華がある ”というのがある。
今風に言えば “ オーラがある ”とでも言うのだろうか。

確かに容姿にかかわらず、一見で『 普通でない何かを感じる人 』というのはいるものだ。

逆に地味で目立たないが、
付き合ってみるとスルメをかむようにじわじわといい味の出てくる人もいて、
このへんが人間の面白いところなのだろう。


音楽の世界でも、一聴して曲が終わる前に節を覚えてしまうような華がある曲もあれば、

車中で何の気なしにかけていたFM放送から流れ出る曲が、だんだん盛り上がってきて、
終盤には胸がはち切れそうになり、曲が終わった途端、車を止めて、放送局に電話して、

「 今の曲は誰の何という曲だ? 」 と問い合わせたことがあるような重厚長大曲もある。


この、華のある曲、
言わば “ タダモノでない何かを感じる曲 ” の一押しは、歌曲 『 花 』。

「 春のうららの 」と聴き始めるだけで、
全曲のイメージが湧いてくる武島羽衣の歌詞もなかなかのものだが、
作曲した滝廉太郎の節回しが余りに華麗過ぎて、作曲者の名ばかりが先走る名曲だ。


筆者が中学のときの女性音楽教諭が、
この滝廉太郎に関しては薫陶と言うにふさわしい名言を残している。

(1) 『 花 』については、歌詞が理解できない外国人でも、旋律の美しさを知る人は
   数多くいること。

(2) 『荒城の月』は、一見日本古謡の音律で作られたように聞こえるが、
   そうではなく、純粋な西洋音律で作曲された曲だということ。


長じて、この預言が続々と具現化する。

1990年代、ドイツ歌曲の世界的名歌手として名を覇せたエルンスト・ヘフリガーが、
『 花 』 を始めとした日本歌曲の旋律の美しさに目を付け、ドイツ語訳の歌詞で
録音・リリースして話題となった。


一方、『 荒城の月 』 については、
NHKでテレビドラマ化された司馬遼太郎の大作 『 坂の上の雲 』の中で、

日露戦争時、欧州で対露諜報工作を担っていた明石元二郎大佐が、
招待ロシア人賓客の前で 『 荒城の月 』 をピアノ演奏させるシーンがあった。

それを聴いた賓客夫人が、「 素晴らしい曲だが、これが日本人の作でないのが残念だ 」
という旨の発言をする。


即ち、この曲が西洋音律で作曲されたことの証左であると共に、明治維新の近代化が
始まってわずか30年余りの日本人が、 ここまで西欧文化を咀嚼できていたとは、
近代化の遅れたロシアでは考えられなかったことの証左でもある。


実は、『 君が代 』 も似たような経緯で転変する。

この曲については、「 こちら 」 を参考にしてほしい。

2016年8月7日日曜日

『 熱狂 』 がキーワード

四国新聞に記事が載った。 …と言っても、昔のことである。

現在、ブラジルのリオデジャネイロではオリンピックが開催されており、
世界中で熱狂的な興奮を巻き起こしている。

熱狂つながりとでも言おうか。

上記の記事に書かせていただいた『とあるイベント』は、
当時の高松ではオリンピックに勝るとも劣らない
熱狂的な興奮を巻き起こしたのだ。

そのようなわけで、『テレサ・ベルガンサ』の高松公演が決まった当時、
四国新聞に掲載された小生の記事を紹介いたします。


なお、新聞記事のブログ掲載にあたって、
四国新聞社には了承を得ている。

また、テレサ・ベルガンサについては下記を参考にしていただきたい。

 Wikipediaの「テレサ・ベルガンサ」のページ






















四国新聞25面の 『 文化 』 欄に掲載。

掲載年月日:1994年2月26日(土)

題目:ベルガンサ高松公演に寄せて
筆名:近藤昌紀


私はその時、テレビの画面に釘付けになった。

1992年7月26日 、時差の関係で現地では7月25日、
スペインはバルセロナのオリンピック開会式の模様を
画面は映し出していた。

夕闇が迫り、ライトがこうこうと照らしだす特設ステージから、
突然聞こえ始めたオペラの名曲の数々。

見よ。ブラシド・ドミンゴがいる。
ホセ・カレーラスがいる。

スペインが生んだ、いや、カレーラスはメキシコ出身だから
スペイン語圏が生んだ、と言った方が正しいのだろうか、
世紀の名歌手が続々と舞台で登場するではないか。

やがて女性陣も登場。もちろん、先陣を切ったのは
名花テレサ・ベルガンサであった。 ( つづく。)

 

2016年8月2日火曜日

美食考

フランス革命時の法律家
ブリア=サヴァランと言えば、『ガストロノミー』。


日本流に言えば  ”美味しんぼの元祖” として名高く、
美食が高じて 『美味礼讃』 なるグルメ本まで出しているから、
法律家が本業、などというのがウソ臭く聞こえる。


しかし、焼き菓子の世界でのサヴァラン、チーズの世界でのブリア・サヴァランと、
後世、彼の名を冠した料理又は調理法が
続々と創作されたのだから、その思想的影響は侮れない。


ブリア=サヴァランが法律家と料理家の二足わらじなら、
音楽家と料理家の二足わらじで現在もその影響力を行使し続けているのが、
イタリア人作曲家ジョアキーノ・ロッシーニだ。


彼の作曲した歌劇 『ウィリアム・テル』 の序曲は、
小学校の共通鑑賞曲であり、

その中でも 『スイス軍の行進』 として知られるマーチは、
徒競争のBGMの定番中の定番だ。


この作品に限らず、ロッシーニの作曲した歌劇は、
脚本も音楽も大衆受けする明快さが売りで、

『セビリアの理髪師』 や 『ランスへの旅』 は、
今日の日本でも繰返し原語上演されているくらいだから、
当時の現地での人気がいかほどであったことか!


実際、彼の人気と興行成績は半端でなく、
三十台後半にして巨万の富を築き、
それを原資に後半生は
美食の求道者としての道を突っ走ることになる。  


この道でも彼は偉大な足跡を残している。

レストランでステーキを 「ロッシーニ風で」 と注文すると、
 こってりとソテーされた厚切りのフォアグラが乗った、
分厚い牛ステーキが運ばれてくる。


調理法にまで試行錯誤を凝らした、
彼の食に対する執念が垣間見える。  


しかも、彼の美(?)癖は食べ物だけでなく、
生身の女性にまで及んでいる。


教科書に出る彼の写真は、
壮年期を過ぎても美食三昧に明け暮れ、

頬が垂れ落ちそうになるほどに肥満した姿だが、
品性の良さは見て取れる。


彼の若いころの肖像画も残っていて、
なるほど、これなら、

”寄せ来る美女を○○放題であった” 
 という伝説も納得できる。


極貧の中で、
非業の病死を遂げたモーツァルトやシューベルト。

死ぬまで強い結婚願望を抱き、
作品に転嫁し続けたベートーベン。

同じ作曲家ながら、
ロッシーニの恵まれ方は、異常とすら思える。  


さてここで、日本人美食家に警鐘を鳴らしておきたい。

洋菓子のミルフィーユを知らない方はいないと思うが、
特に男性諸氏、

フランス語圏で
「 『ミルフィーユ』が欲しい 、食べたい 」 と言うと、
大変なことになることを心得ておかれたい。


ミルフィーユの仏語本来の発音はミル・フイユで、
ミルは千、フイユは木の葉、すなわち千枚の木の葉の意味である。

パイ皮を折り重ねた形状は、まさに千枚の葉だが、
問題はこれを「フィーユ」と発音すると、
うら若き女性の意味になる。

即ち、ミルフィーユを食したい、とは、
「千人の女性を食したい」の意に他ならない。


誤ってフランスの女性に言ったら、
平手打ちが飛んで来る前に退散すべし!

2016年8月1日月曜日

働けば自由?

アルバイトという言葉は、
日本では『 学生アルバイト 』、『 主婦アルバイト 』に代表されるように、
別に本業を持った人が、本業以外の片手間で賃金を稼ぐイメージで定着している。


しかし、 その語源はドイツ語の『 アルバイト 』。


こちらは、正規、非正規を問わず、「労働」そのものを指す言葉で、
このままの発音で、ドイツ語圏で立派に通用する。


明治初期の急速な西欧化政策の中で、
日本は十九世紀後半の当時、
科学、文化の分野で最先端を突っ走っていたドイツに範を求めた。


旧制高校では、現在の英語教育熱並みにドイツ語が必須で、
 ワッペン、ギプスなどはドイツ語直輸入だが、
他に適当な日本語訳が見つからないほどに日本語化して、定着している。


一方、『 カルテ 』は、ドイツ語本来はカードの意味だが、
 日本では医師の診療記録の意味で定着していて、
これも他に答え一発の適当な日本語訳は浮かんで来ない。


同様にアルバイトも、当時の貧乏学生が糊口をしのぐため、
破衣蓬髪で片手間労働しなければならなかった境遇を、
「アルバイトしとるんじゃ」 と虚勢を張って煙に巻いたのが、
日本流アルバイトの語源となった。


この由来を思い出すたびに、
百人一首にある光孝天皇の歌を本歌取りした蜀山人の狂歌、

 『 世わたりに春の野に出て若菜つむわが衣手の雪も恥ずかし 』

が頭に浮かぶ。


ところで、ドイツ人は自他共に認める愚直な民族である。


真冬の夜、一本道に信号の付いた横断歩道があるとする。


車の影など全く見えない。


そんな状況下にあっても、
信号が赤の間は極寒に震えながらも横断しようとしないドイツ人を、

隣国フランス人は

  「道路は人のためにあるものだ。車のためにあるのではない」

 と笑い飛ばす。


その逆襲として、

『 絶対に出ることのない人物は、フランス人の道徳家、
米国人の哲学者、英国人の名料理人、ドイツ人のコメディアン 』

 と世界的に有名なジョークがある。


その堅物、ジョークには縁遠いドイツ人が発した、
と言っては現代ドイツ人には誠に失礼かもしれない。


ナチスドイツが発したというのが正しいのであろうが、
世界最醜悪なジョークがある。

 「 アルバイト マハト フライ 」

マハトは「何々になる」の意味で、フライは英語でフリー。
合わせて「労働すれば自由になる」ほどの意味だ。

ナチスは、この標語看板をアウシュヴィッツを始めとした
ユダヤ人根絶収容所の入口に掲げた。


今でも、アウシュヴィッツでは
記憶モニュメントとして保存・展示されている。


収容者にすれば、
強制労働でこき使われて死んだら魂は自由になる。


そうでなければガス室送りで、
魂は肉体から解き放たれる。

この二つしか道はない。


確かに魂は自由になるのであろうが・・・。


イスラム諸国やアフリカの、
今や隆盛を極める(?)反政府勢力は、

子供を拉致し、強制労働の傍ら、
アルバイト気分で人を殺せる洗脳教育を施している。


こわいアルバイトだ。

2016年7月31日日曜日

当研究所内のフィギュア群

久々に芸術情報研究所ブレイン氏登場。
所内フィギュア群を見る。


ブレイン:
「このフィギュア、純正ドイツ・プロイセン音楽作曲家と
 オーストリア・ハプスブルク帝国音楽作曲家が絶妙な数で並んどる。


近藤:
「そうやろ。
 純正ドイツは、バッハが生まれて死ぬまで完全に独プロイセンやな。

 ヴァーグナーは独プロイセン出でバイエルン没。
 絵皿が2で胸像1。

 対するオーストリア・ハプスブルク帝国側は、
 墺ザルツブルク出でウィーン没のモーツァルトが絵皿1、胸像1。

 右側のハイドンがホンマもんなら、オーストリア・ハンガリー帝国で
 生涯を過ごした生粋ハプスブルク帝国傘下の音楽家で胸像1。
 
ここまでで、独3対墺3。問題はベートーヴェンをどう見るかやな。


ブレイン:
「出生地はライン川下流のドイツのボン。
 名前もオランダ系に近いファン又はヴァン・ベートホーフェンやもんな。

 そやけど名を上げて活躍し、骨を埋めたんはウィーンや。

 ドイツ人は言わんけど、オーストリア人は今でも
 『 ベートーベンはオーストリア人(???)、ヒトラーはドイツ人(???!!!) 』
 いうて、平然と言いよる。あの国民は面の皮が厚い。
 

近藤:
「ベートーベンをオーストリアに譲り、その緩和策として、
 独プロイセンのオーケストラ、ベルリンフィルを指揮するアッバードの
 ミニチュアポスターを入れて、バランスを取ったっちゅうのはどうや?


ブレイン:
「そやけどマーラーの生涯はウィーンフィル漬けや。
 ハプスブルク帝国にプラス1。


近藤:
「マーラーはユダヤ人で、
 オーストリア人の範疇に入れん排外的オーストリア人。
 ハプスブルク帝国にマイナス1。



当研究所内のフィギュア群について

ドイツのプロイセン音楽家とオーストリアのハプスブルク帝国音楽家が
バランス良く置いてあるよ

という話でした。





2016年7月30日土曜日

『 ロイターポーセリン ミュージックハウス 』 で検索してみよう

ドイツに 『 ロイターポーセリン 』 という
ポーセリン( 陶磁器 )で作ったフィギュアの専門会社がある。

1体何百万もする超豪華ポーセリンアートは、
スペインの 『 リヤドロ 』 が破竹の勢いの快進撃を続けているが、
ミニチュアのポーセリンフィギュアは、このロイターの独擅場が続いている。


ロイターポーセリン 』 を検索すると、
まあ少女趣味なミニチュアの写真が所狭しと出るわ出るわ。

値段も手ごろで手は出し易いが、 『 リヤドロ 』 が大人の世界なら、
こちらは完全に少女趣味の世界。

さすがに今まではええ歳したオヤジが手を出すには

(どうもねえ・・・)

だったが、最近になってこの会社、ドイツ語圏音楽マニアの
実に痛いところをついた大作 ( と言ってもミニチュアだから小さい ) を出した。

ロイターポーセリン ミュージックハウス 』 で検索すれば出てくる。



画像を見れば分かるが、楽器店のショーウィンドーのミニチュアと考えればよい。

その名もドイツ語で 『 ムジークハウス 』 と左上方に書かれ、
指先に乗るようなヴァイオリンを始めとした弦楽器にはすべて弦が張られ、
管楽器のキーやピストンも、まるで実物の楽器のような巧妙なつくりである。

( たかがオモチャをよくここまでリアルにつくったものよ )


やはり、ドイツは良くも悪くもマイスター魂の固まりの国だ。

筆者が痛く感動したのが、ミニチュア店のウインドーの飾り棚。
ここに本業の陶器の絵皿ミニチュアが並べてある。


見ると、最上段には左にリヒャルト・ヴァーグナー様。
右にモーツァルト。
中段は左にベートホーフェン(わざとドイツ語で言う)、右にバッハ。

さらに、最下段には左にモーツァルトの石膏胸像、
右の2体は、一方は明らかにヴァーグナーだ。
 
もう一方は若き日のハイドンではないかと思うのだが、
買っておられる方、お分かりであればご教示願いたい。


堅物のドイツ人にしては

( えらくウィットをきかせたことをやってくれるわい )

と思ったのは、左にある、開放可能なドア。

開けると正面にチェロとギター、その上に何とポスターのミニチュアが貼ってある。

薄くなった目をこらして覗き込むと、
おそらくはベルリンフィルの常任時代であろう亡クラウディオ・アッバードが指揮をしている写真。

その上には、ご丁寧にもアッバードの名前の上に、
『 グスタフ・マーラー シンフォニーNo.9 』と
ヨコ文字で書いて、商店臭さを出してある。


このミュージックハウス、日本での販売価格は3万超だが、
この半値、1万5千円台で買えるお買い得版は 『 ミュージックルーム 』。


これも『 ロイターポーセリン ミュージックルーム 』 で検索すれば画像は出るが、
椅子つきピアノの上にはヴァーグナーの胸像のみ。

絵皿は同数、ピアノの上方に貼り付けられているが、
楽器の数も少なく、値段なりである。



総評として、この作品は
『 ドイツ人の、ドイツ人による、ドイツ人のためのミニチュア 』だと思われる。

日本人ではしゃぎまくっているのは筆者だけかも。



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この記事は
私が懇意にさせていただいている方へ送ったものを
自分用に編集したものです。

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2016年7月7日木曜日

昭和62年の秋の話

サイモン・ラトル指揮のバーミンガム市交響楽団が
旧高松民会館にやって来て、
ヴォルジャークの交響曲第8番を演奏した。

当時の高松は、ドヴォルジャークと言えば
9番『新世界より』ばかり演奏していたので、
8番の公演は驚異だった。


昭和62年の秋の話である。


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この記事は
私が懇意にさせていただいている方へ送ったものを
自分用に編集したものです。

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2016年6月15日水曜日

社交パーティーでは、芸術・文化の話題を提供できる人が主役になれる

四国新聞で現在連載されている『 香川のリーダーたち 』シリーズで、
川島猛画伯が興味深い思い出を語られていた。

有名企業のニューヨーク駐在員たちが、芸術の知識を得るために
川島画伯の現地自宅やアトリエを訪れ講釈をしてもらったというくだりだ。


欧米は宴会社会でなくパーティー社会だ。

企業マンでも社交パーティーに招かれるが、そこでのメインは料理でなく
会話であり、興味深い話題を提供できる人が主役になれる。

ただし、そこには絶対のタブーがあり

(1) 仕事
(2) 政治
(3) 宗教

の話はしてはならない。

ということは、話題は自ずから芸術・文化の話が中心になってくる。
仕事以外にこの方面の知識を持ち合わせていないと相手にされなくなる。

2016年4月2日土曜日

音楽ホールのリンク

香川県
 香川県民ホール  サンポートホール高松  さぬき志度音楽ホール
 高松テルサホール  高松市石の民俗資料館  

徳島県
 あわぎんホール 徳島県郷土文化会館    

東京都
 新国立劇場 オペラ    

岡山県
 岡山シンフォニーホール  倉敷市民会館  くらしきコンサート
 大原美術館    

兵庫県
 兵庫県立芸術文化センター  尼崎アルカイックホール  

大阪府
 ザ・シンフォニーホール  フェスティバルホール  

滋賀県
 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール    

静岡県
 アクトシティ浜松    

2016年1月24日日曜日

バレンタインデー・エピソード

この記事は
私が懇意にさせていただいている方へ送ったものを
自分用に編集したものです。

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「今年はなんぼ?」

鞄からテーブルの上につかみ出したチョコのパッケージの数々を
素早く目で追う亡愚妻。

「あんたはモテるから、私はええやろ。
それより、こんなん一度に食べたら体に悪いけん、
私食べるん、手伝うてあげる。」

と、いそいそと包装を開け、
いかにもうれしそう、かつ、うまそうにチョコを口に運ぶ亡愚妻。

理屈はそのとおりだが・・・と、半ば唖然としながら、
まあ、それでも人が喜んでいるんだから良しとせい、か?!と私。

かように亡愚妻を喜ばせていただいた義理チョコ提供者の
女性各位に深く御礼申し上げます。

あの時代、義理チョコ氾濫・旺盛で、
送る側の女性の出費も大変だったのでは。

そういや亡愚妻に、職場の義理チョコ何個渡したか聞くのを忘れていた。


2016年1月20日水曜日

クラシック音楽演奏家の生態を活写した絵画を観ましょう。

この記事は
私が懇意にさせていただいている方へ送ったものを
自分用に編集したものです。

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はじめにグーグルあたりで『横尾正夫』を検索し、
出た画像を見てほしい。

ここをクリック


この画像が気に入ったら『横尾正夫作品集』を購入してほしい。
 (昨年12月に出たばかりの画集で宮脇には無かった)

『横尾正夫』の画像が気に入ったら、
横尾の師である『小磯良平』もお勧めする。

『小磯良平 音楽』、『小磯良平 絵画』の2つを検索しよう。

両者は赤坂の迎賓館のエントランスに飾ってあるので、
迎賓館に来た外人は絶対に目にする。
音楽家を描いたものとしては名実ともに日本を代表する絵画だ。

ただし、この絵は大ホールの装飾用に描かれた大作で
上下の空間が大きく画像で見ると人間や小道具が小さく見えて、
有難味が半減の更にまた半減くらいになる。


上記の『音楽』という作品もそうだが、
小磯はリュートの形状がいたく気に入っていたらしく、
日本人や外人のモデルに持たせた絵が多数存在する。

師がそれなら、弟子の横尾は2千年くらいからハープの形状に凝りだして、
モデルを渉猟していて見つかったのが、
当時、武蔵野音大の現役学生であったハーピスト、新井薫コルチ。
(先祖の誰かがイタリア出自なら、コルッチと読んだ方が自然かも)

このお姉ちゃん、モデルになったことを自分のブログに書きまくっているから、
画家としては住む世界の違う音楽関係者や音楽マニアに対しての
よい宣伝になる。

横尾はもと電通の社員だったから
プロパガンダ戦略でもモデルとの見事な共生を果たしている。


ハーピスト新井薫の気まぐれブログ
http://blogs.25ans.jp/elegant_kaoru/




2016年1月14日木曜日

1976年におきた劇場観客席や通路での殴り合い

この記事は
私が懇意にさせていただいている方へ送ったものを
自分用に編集したものです。

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 1976年というと昭和51年か。

この年、独・バイロイト音楽祭が開設100年を迎え、
リヒャルト・ヴァーグナーの孫にして
芸術監督ヴォルフガング・ヴァーグナーが新風を吹き込もうと、
指揮者に当時は既に脂の乗っていた本記P・ブーレーズ、
演出家には新進気鋭であったパトリス・シェローのフランス人コンビを起用した。



結論から言うと、歴史的大改革となった。

男性歌手には汚らしげな
背広のできそこないのような衣装を着せ、

女性にはパリの下町の街娼が着るような
汚れたあざといドレスを着せる。

どこかのスラム街か
下町の工場かと思われるような設営の舞台を
4日間、20時間近く、高い金を出して見さされる訳だ。



客席は初日の『ラインの黄金』から大荒れ。

その年のバイロイト音楽祭のNHK・FM録音生中継は、
12月25日から1週間、13時からで、冬休みに入った学生・生徒の
ませたやつらには絶好のBGMであったのだが

第一幕が終わるや否やブーイングとブラボーが
ごったまぜのすごい音響。

さすがに放送では言わなかったが複数の報道や著作で
新演出賛成派、反対派が劇場観客席や通路で
殴り合いを始めたことが記録されている。



筆者が初めてバイロイトに足を踏み入れた
昭和53年夏のシーズンは、この演出も一定の評価をされていて、

後、ウィーン・フィル、ニューイヤーコンサートの映像ディレクターとして
不動の地位を獲得する英ブライアン・ラージがバイロイトに迎えられ、
初めてテレビ映像による録画をしたのもこの頃であったと思う。






おらが村の芸術の賛否で殴り合いをするドイツ人。

やってみたいですなあ。

(ここまで芸術を愛することが、俺、できているんだろうか)
と自問自答したくなる。

サッカースタンドで殴り合いをするのが目的の
フーリガンと一緒にはして欲しくないが。