自己紹介


はじめまして。近藤紀文と申します。
当ブログにご訪問頂き、ありがとうございます。

このブログでは演奏会(ライブやコンサート)参加の履歴や
日常生活で思ったことについて、様々な視点で書いていきます。

どうぞよろしくお願いいたします。


2016年1月24日日曜日

バレンタインデー・エピソード

この記事は
私が懇意にさせていただいている方へ送ったものを
自分用に編集したものです。

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「今年はなんぼ?」

鞄からテーブルの上につかみ出したチョコのパッケージの数々を
素早く目で追う亡愚妻。

「あんたはモテるから、私はええやろ。
それより、こんなん一度に食べたら体に悪いけん、
私食べるん、手伝うてあげる。」

と、いそいそと包装を開け、
いかにもうれしそう、かつ、うまそうにチョコを口に運ぶ亡愚妻。

理屈はそのとおりだが・・・と、半ば唖然としながら、
まあ、それでも人が喜んでいるんだから良しとせい、か?!と私。

かように亡愚妻を喜ばせていただいた義理チョコ提供者の
女性各位に深く御礼申し上げます。

あの時代、義理チョコ氾濫・旺盛で、
送る側の女性の出費も大変だったのでは。

そういや亡愚妻に、職場の義理チョコ何個渡したか聞くのを忘れていた。


2016年1月20日水曜日

クラシック音楽演奏家の生態を活写した絵画を観ましょう。

この記事は
私が懇意にさせていただいている方へ送ったものを
自分用に編集したものです。

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はじめにグーグルあたりで『横尾正夫』を検索し、
出た画像を見てほしい。

ここをクリック


この画像が気に入ったら『横尾正夫作品集』を購入してほしい。
 (昨年12月に出たばかりの画集で宮脇には無かった)

『横尾正夫』の画像が気に入ったら、
横尾の師である『小磯良平』もお勧めする。

『小磯良平 音楽』、『小磯良平 絵画』の2つを検索しよう。

両者は赤坂の迎賓館のエントランスに飾ってあるので、
迎賓館に来た外人は絶対に目にする。
音楽家を描いたものとしては名実ともに日本を代表する絵画だ。

ただし、この絵は大ホールの装飾用に描かれた大作で
上下の空間が大きく画像で見ると人間や小道具が小さく見えて、
有難味が半減の更にまた半減くらいになる。


上記の『音楽』という作品もそうだが、
小磯はリュートの形状がいたく気に入っていたらしく、
日本人や外人のモデルに持たせた絵が多数存在する。

師がそれなら、弟子の横尾は2千年くらいからハープの形状に凝りだして、
モデルを渉猟していて見つかったのが、
当時、武蔵野音大の現役学生であったハーピスト、新井薫コルチ。
(先祖の誰かがイタリア出自なら、コルッチと読んだ方が自然かも)

このお姉ちゃん、モデルになったことを自分のブログに書きまくっているから、
画家としては住む世界の違う音楽関係者や音楽マニアに対しての
よい宣伝になる。

横尾はもと電通の社員だったから
プロパガンダ戦略でもモデルとの見事な共生を果たしている。


ハーピスト新井薫の気まぐれブログ
http://blogs.25ans.jp/elegant_kaoru/




2016年1月14日木曜日

1976年におきた劇場観客席や通路での殴り合い

この記事は
私が懇意にさせていただいている方へ送ったものを
自分用に編集したものです。

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 1976年というと昭和51年か。

この年、独・バイロイト音楽祭が開設100年を迎え、
リヒャルト・ヴァーグナーの孫にして
芸術監督ヴォルフガング・ヴァーグナーが新風を吹き込もうと、
指揮者に当時は既に脂の乗っていた本記P・ブーレーズ、
演出家には新進気鋭であったパトリス・シェローのフランス人コンビを起用した。



結論から言うと、歴史的大改革となった。

男性歌手には汚らしげな
背広のできそこないのような衣装を着せ、

女性にはパリの下町の街娼が着るような
汚れたあざといドレスを着せる。

どこかのスラム街か
下町の工場かと思われるような設営の舞台を
4日間、20時間近く、高い金を出して見さされる訳だ。



客席は初日の『ラインの黄金』から大荒れ。

その年のバイロイト音楽祭のNHK・FM録音生中継は、
12月25日から1週間、13時からで、冬休みに入った学生・生徒の
ませたやつらには絶好のBGMであったのだが

第一幕が終わるや否やブーイングとブラボーが
ごったまぜのすごい音響。

さすがに放送では言わなかったが複数の報道や著作で
新演出賛成派、反対派が劇場観客席や通路で
殴り合いを始めたことが記録されている。



筆者が初めてバイロイトに足を踏み入れた
昭和53年夏のシーズンは、この演出も一定の評価をされていて、

後、ウィーン・フィル、ニューイヤーコンサートの映像ディレクターとして
不動の地位を獲得する英ブライアン・ラージがバイロイトに迎えられ、
初めてテレビ映像による録画をしたのもこの頃であったと思う。






おらが村の芸術の賛否で殴り合いをするドイツ人。

やってみたいですなあ。

(ここまで芸術を愛することが、俺、できているんだろうか)
と自問自答したくなる。

サッカースタンドで殴り合いをするのが目的の
フーリガンと一緒にはして欲しくないが。