自己紹介


はじめまして。近藤紀文と申します。
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2016年1月14日木曜日

1976年におきた劇場観客席や通路での殴り合い

この記事は
私が懇意にさせていただいている方へ送ったものを
自分用に編集したものです。

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 1976年というと昭和51年か。

この年、独・バイロイト音楽祭が開設100年を迎え、
リヒャルト・ヴァーグナーの孫にして
芸術監督ヴォルフガング・ヴァーグナーが新風を吹き込もうと、
指揮者に当時は既に脂の乗っていた本記P・ブーレーズ、
演出家には新進気鋭であったパトリス・シェローのフランス人コンビを起用した。



結論から言うと、歴史的大改革となった。

男性歌手には汚らしげな
背広のできそこないのような衣装を着せ、

女性にはパリの下町の街娼が着るような
汚れたあざといドレスを着せる。

どこかのスラム街か
下町の工場かと思われるような設営の舞台を
4日間、20時間近く、高い金を出して見さされる訳だ。



客席は初日の『ラインの黄金』から大荒れ。

その年のバイロイト音楽祭のNHK・FM録音生中継は、
12月25日から1週間、13時からで、冬休みに入った学生・生徒の
ませたやつらには絶好のBGMであったのだが

第一幕が終わるや否やブーイングとブラボーが
ごったまぜのすごい音響。

さすがに放送では言わなかったが複数の報道や著作で
新演出賛成派、反対派が劇場観客席や通路で
殴り合いを始めたことが記録されている。



筆者が初めてバイロイトに足を踏み入れた
昭和53年夏のシーズンは、この演出も一定の評価をされていて、

後、ウィーン・フィル、ニューイヤーコンサートの映像ディレクターとして
不動の地位を獲得する英ブライアン・ラージがバイロイトに迎えられ、
初めてテレビ映像による録画をしたのもこの頃であったと思う。






おらが村の芸術の賛否で殴り合いをするドイツ人。

やってみたいですなあ。

(ここまで芸術を愛することが、俺、できているんだろうか)
と自問自答したくなる。

サッカースタンドで殴り合いをするのが目的の
フーリガンと一緒にはして欲しくないが。

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