自己紹介


はじめまして。近藤紀文と申します。
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2016年8月10日水曜日

華のある曲

人を褒めるのに使う言葉で “ 華がある ”というのがある。
今風に言えば “ オーラがある ”とでも言うのだろうか。

確かに容姿にかかわらず、一見で『 普通でない何かを感じる人 』というのはいるものだ。

逆に地味で目立たないが、
付き合ってみるとスルメをかむようにじわじわといい味の出てくる人もいて、
このへんが人間の面白いところなのだろう。


音楽の世界でも、一聴して曲が終わる前に節を覚えてしまうような華がある曲もあれば、

車中で何の気なしにかけていたFM放送から流れ出る曲が、だんだん盛り上がってきて、
終盤には胸がはち切れそうになり、曲が終わった途端、車を止めて、放送局に電話して、

「 今の曲は誰の何という曲だ? 」 と問い合わせたことがあるような重厚長大曲もある。


この、華のある曲、
言わば “ タダモノでない何かを感じる曲 ” の一押しは、歌曲 『 花 』。

「 春のうららの 」と聴き始めるだけで、
全曲のイメージが湧いてくる武島羽衣の歌詞もなかなかのものだが、
作曲した滝廉太郎の節回しが余りに華麗過ぎて、作曲者の名ばかりが先走る名曲だ。


筆者が中学のときの女性音楽教諭が、
この滝廉太郎に関しては薫陶と言うにふさわしい名言を残している。

(1) 『 花 』については、歌詞が理解できない外国人でも、旋律の美しさを知る人は
   数多くいること。

(2) 『荒城の月』は、一見日本古謡の音律で作られたように聞こえるが、
   そうではなく、純粋な西洋音律で作曲された曲だということ。


長じて、この預言が続々と具現化する。

1990年代、ドイツ歌曲の世界的名歌手として名を覇せたエルンスト・ヘフリガーが、
『 花 』 を始めとした日本歌曲の旋律の美しさに目を付け、ドイツ語訳の歌詞で
録音・リリースして話題となった。


一方、『 荒城の月 』 については、
NHKでテレビドラマ化された司馬遼太郎の大作 『 坂の上の雲 』の中で、

日露戦争時、欧州で対露諜報工作を担っていた明石元二郎大佐が、
招待ロシア人賓客の前で 『 荒城の月 』 をピアノ演奏させるシーンがあった。

それを聴いた賓客夫人が、「 素晴らしい曲だが、これが日本人の作でないのが残念だ 」
という旨の発言をする。


即ち、この曲が西洋音律で作曲されたことの証左であると共に、明治維新の近代化が
始まってわずか30年余りの日本人が、 ここまで西欧文化を咀嚼できていたとは、
近代化の遅れたロシアでは考えられなかったことの証左でもある。


実は、『 君が代 』 も似たような経緯で転変する。

この曲については、「 こちら 」 を参考にしてほしい。

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