自己紹介


はじめまして。近藤紀文と申します。
当ブログにご訪問頂き、ありがとうございます。

このブログでは演奏会(ライブやコンサート)参加の履歴や
日常生活で思ったことについて、様々な視点で書いていきます。

どうぞよろしくお願いいたします。


2017年12月30日土曜日

山田麻実さんの自己紹介動画発見

ミュンヘン市民へのPRを兼ねた
ミュンヘンフィル2ndバイオリン正団員就任
山田麻実さんの自己紹介動画を発見。


Asami Yamada's Interview」を検索でいつでも見られる。



この10月28日公開というのも新鮮。

動画では、山田さんの流暢なドイツ語と、横から見ると卓球の福原愛そっくり、
演奏時にふと見せるバイオリニスト千住真理子のような表情に魅了された。

声も、いい声をしている。
歌い手の発声ではないが、いやされる声だ。

親父さん、恥ずかし紛れに、まあ、言いたい放題を。

2017年12月29日金曜日

ゲルギエフつながりの驚愕のリサイタル

本年12月9日付けで掲載した、
恐るべし!天下のマリインスキー歌劇場管弦楽団に勝った東大オケ
ヴァレリー・ゲルギエフつながりで驚愕の事実を一席。

このゲルギエフが常任指揮者を務めるメジャーオーケストラに
ミュンヘンフィルがあるが、
その「ミュンヘンフィル団員 日本音コン3位 ヴァイオリン 山田麻実」で
ピアノは高松一高、桐朋ラインの立川美香を掲げたリサイタルのチラシが、

最近、行き着けのオーディオ屋インザムードに行ったら、
カウンターの上に無造作に積み上げてあった。


2018年4月21日(土)15時から国分寺のシカ、とある。

近藤「これ何な!」

店員(筆者のオーディオの師、滝口教祖)
「ああ、それ客のじいさんが、親戚の演奏会やいうんで置かしてくれ言うて、
持ってきたんですわ。」

筆者、速攻、そこに書かれた「山田」と書かれた問い合わせ先へ携帯を入れる。

近藤「出身は芸大付属、芸大、芸大院、
ミュンヘン音大院となっとるけど、中学までは高松?」

山田氏「本人はずっと関東ですが、父親の私が昭和51年の高校卒業まで高松やったもんで、私の父、娘から言うたらじいさんがどんな音か聴きたい言うんで、どうせやったらいうんで、会場を設定したんです。」

近藤「51年高卒、・・・もしかして・・・」

で話を進めたら、何と彼は高校の同窓生で、そのいとこ、
旧姓山田さん:今はなき高松古楽コンソートに所属していた白石さんも同窓生とのこと。唖然。

近藤「しかし、よう受かりましたね。」

山田「倍率は500倍とかやったです。(!)まあ、これからですわ。」

近藤「チラシのご尊顔も麗しく・・・。」

山田「それがあいつ、顔が全然で、最近も撮り直ししたんですが、
これも気にいらんで、そのチラシのは相当前のやつです。
あまり、期待をなさらんように。(以上、ご尊父発言ママ)」

近藤「いやあ、うちのドラ娘も勤め先の大阪の企業のサイトに写真が出とんですが、
どうせ出るなら見合い写真に使えるようにキレイに撮ってもらえや、
言うたら、企業風土に合うように撮られたっちゅう話ですわ。どんな企業風土や。

しかし、ミュンヘンフィルの現役がこの甘ったるい
(会場がシカだから言ったのではない。)
子ども向けみたいなプログラムとはもったいない。
倍値の5,000円で面倒い曲でも行きますわ。」

山田「そうしたいんはヤマヤマなんですが、なんせ、3楽章モンのソナタに
じいさんの体力が持つかどうか分からんので、今回は泣く泣くこんなんにしたんですわ。
いずれは、本格的なソナタでやりたいです。」

2017年12月28日木曜日

第4回高松国際ピアノコンクールのご意見番

(12月15日質問投稿)
パスポートチケットの売り方がドンくさいんちゃいますか。


パスポートチケットが「※7,000円お得」?
アホなこと言わんとって下さいよ。
それよりずっと美味しいでしょう、このチケットは。


せっかく今回から3次審査に導入するピアノカルテット。
これのメリットを本音で売り込まにゃあ!商工会の人も役員にいるんでしょう。
もっと商売気を出して下さいよ。


ピアノカルテットを構成する楽器の内、
ビオラはソロリサイタルをすることは非常に稀ですが、
ヴァイオリン、チェロのソロリサイタルは普通の話。


で、今回3次審査登場の弦パートの面々は、
東京価格でソロリサイタル5,000円は当り前のメンバーです。
((ヴァイオリン:玉井 菜採、川久保 賜紀、
  ヴィオラ:大野かおる、松実健太、
  チェロ:河野文昭、長谷川陽子)
グーグルあたりで「リサイタル 氏名」で検索してみて下さい。
なんぼでも出てきます。)


その連中が3人一組で入れ替わり立ち代わり、
1日5回、2日で10回演奏する訳でしょう。
1日どころかコンテスタント2名分の演奏を聴けば市場価格での元は取れて、
後はプレミアムです。


言っては何ですが、瀬戸フィルが3次審査の伴奏を務めた前回よりは
付加価値が高くなっているのは間違いありません。
県外から3次審査のみを聴きにくる人も出かねません。


そして最後に一言。殺し文句はこれ。
「3次審査以降は全席指定となります。いい席はお早目に。」




(12月14日質問投稿)
過去3回の思い出なんですが、高松国際コンクールは4年に1回、
奇しくも(?)冬季オリンピックの後、
ひと月も経たない間に開催されますよね。今年も然りです。


冬季オリンピックの出場選手の国籍と
高松コンクールの出場者の国籍は類似性が非常に高いです。
北の国が有利で、出場者の育成に非常にカネがかかる。
まさに南北問題です。


南の貧困国家=ほぼサッカーに熱心で強い国は、出場者も限られます。
サッカーが貧者のスポーツなら、ピアノはやっぱりフィギュアスケート並みの
金持ちのスポーツ(そうです。スポーツそのものです。)ですね。


この冬季オリンピックの盛り上がりを、
どうして高松コンクール事務局は引っ張って来ないんですかね。
「オリンピックの次はコンクール」的ノリで。


出場国の国旗が、オリンピックが終わると同時にそこら中でひるがえり、
商店街で流れるのは出場国国歌くらいでないと、このノリは引き継げません。
(国家でなく地域である台湾にも「国歌」は有ります。今回は予選敗退のようですが。)

悪名高きИси井Рури子Старушкаあたりがいたときは、
セレモニーとして粛々とコンクールを進めたいとの
天の声が降って来ていたのでしょう。

ですが、鬼婆も永久にこの世から消え去り、
今、世間では2017年の直木賞・本屋大賞を総なめにした
小説『蜂蜜と遠雷』のモデルになった浜松国際ピアノコンクールの模様が
コンクール風景のスタンダードとなっています。


一次審査の段階から「歓声」「怒号」「スタンディング・オベイション」の連続ですよ。
 ブログでもそのとおりの模様が次々に掲載されています。


さらに、通になると、どうして高松コンクールは「聴衆賞」がないんだ、
との声すら聞こえます。


高松の聴衆のレベルが
「聴衆賞」を投票するほどのレベルではないから(という上から目線)なのか、
単に前からやってないから、その引継ぎでやってないのか。


「聴衆賞」がないと、盛り上がりにも欠けますよね。
人気投票か総選挙か知らんですが、世間ではそういうのも流行ってますから。

2017年12月27日水曜日

高松国際ピアノコンクール事務局への公開質問状

 「カントリーリスク」。

前回の高松国際ピアノコンクールまではあまり意識しなかったこの言葉、
米トランプ爆弾が爆発するごとにヒヤヒヤものになる。

我が芸術情報研究所は、この手の問題を「地勢学」として研究していて、
恰好の研究ネタだ。
(「地勢学」の正体は「芸術情報研究所」を検索し、ブログを参照されたい。)

カントリーリスク評価マップ - 2017年1月~2016年第4四半期
コファスジャパン信用保険会社

















 




カントリーリスクその1 

今回2名のイスラエル国籍のコンテスタントがいる。
この、イスラエル国籍というところが曲者だ。
まず、トマー・ゲヴェッツマン


誰がカタカナに訳したのかは知らないが、「WIRTZ」を「ウィルツ」と読まず
「ヴェッツ」又は「ヴィルツ」とWをにごらし読みするのであれば、
これはユダヤ人のドイッチャー、すなわち、元ドイツにルーツがあって、
移民だか帰国だか知らないが、した者の可能性が高い。
顔だちも典型的ユダヤ人だ。


もう一人、オル・リーム
こちらは典型的アラブ系パレスチナ人の顔だち。
顔色も浅黒いのを隠すため、わざと白黒写真にした可能性がある。


そして、パレスチナ人とシリア人の両親を持ち、
ニューヨークを拠点に活動するアラブ系アメリカ人アーティスト・映画監督に
Jackie Reem Salloumジャッキー・リーム・サッローム)という女性がいる。
オル・リームも同じREEMを名乗っているから、
もうパレスチナ人と見て間違いないだろう。


さて、そのイスラエルとパレスチナ。
 トランプ爆弾が「イスラエルの首都を(テルアビブでなく)エルサレムと認定する」
などと発言したもんだから、
ただでさ揉めに揉めもめているこの双方の紛争に油を注ぐ上に、
唯一のアメリカ国籍の参加者、クリス・ジュヨン・ハンにも火の粉が飛んで来かねない。

もっとも、この人、写真から見ても名前から見ても、ハン・ジュヨン。
韓国系(又は中国系)らしく、多少救われた気もするが、ゆめゆめ油断めさるるなかれ。



カントリーリスクその2

高松国際ピアノコンクール第1回で優勝をかっさらいながら、
前回は一次審査すら出場者の無かったウクライナ


今回は2名出場だが、隣国ロシアは7名。
この2国がこれまた面倒い。


この2国については、おおっぴらに紛争が始まる2年前には、
筆者、この事態を予言していた。
(筆者論文「ドイツ大使と近藤昌紀の大予言」参照)


4年前の第3回開催時期は、この2国の紛争が頂点に達した頃で、
ウクライナ側としては、コンクール出場どころの情勢ではなかっただろう。


まさにコンクール会期中の2014年3月18日、
ロシアが当時ウクライナ領であったクリミアを併合。
同年7月17日には、ウクライナ東部を飛行中のマレーシア航空機が
ロシア製地対空ミサイルにより誤爆・撃墜された。


この地域はウクライナといいながらロシア系住民の多い地域で、
現在でもロシアへの併合を望む一派とウクライナ政府の対立で、内乱状態を呈している。
そのすさまじさを、今年は身近に感じることができた。


今年9月12日のキエフ・クラシック・バレエ県民ホール公演。
この時に売られていたオリジナルパンフレットに書かれた、
プリンシパル長澤美絵への5月10日付け電話インタビューを読むと、

1年前に結婚しました。
今は同じバレエ団にいるエフゲニー・ペトレンコですが、
それが波乱万丈で・・・。


彼はもともと民俗舞踏を踊っていた人ですが、
キエフ・クラシック・バレエと同じ劇場にレパートリーがあるので、

一緒の舞台を踏んだ時に知り合いました。

でも、結婚してひと月で彼は兵役に取られてしまって・・・
ほんの3日前に帰ってきたのです。



ちなみにこのカンパニー(キエフ・クラシック・バレエ)は
旧ソ連時代にはモスクワのボリショイバレエ、
レニングラード(現サンクトペテルブルク)のレニングラードバレエと比肩された、
ウクライナ国立キエフバレエとは似て非なる団体である。

こちらの団員なら兵役免除されたかもしれないが、
それにしてもバレエのダンサーを兵役に取るなど、国家総動員の状態に近いとも思える。

事態が急辺すれば男性コンテスタントの
ヴァーシル・コーチェスに帰国命令が出たりして・・・。


12月24日の四国新聞ほか各紙によれば、
ここでもトランプ爆弾が、「ウクライナへの武器供与を決定」とのまさに爆弾発言。
ロシアとの仲も一層険悪にならざるを得ない。
どこまであの男は世間を混乱させるつもりなのか!


第2回では、チリ・イースター島出身の女性コンテスタントが、
折からのチリ沖地震に起因した津波被害に対して募金を募ることに事務局も協力した。


それでは今回、上記紛争が悪化し、立場の弱いパレスチナやウクライナの
コンテスタントが人道的支援を申し出たらどうするのか。


逆に、ウクライナはドン・コサックの発生の地、
パレスチナはご存知のとおりの自爆王国だ。どちらも血の気の多い地域ときている。
ロシア人やユダヤ人のコンテスタントと、舞台裏で乱闘をしかねない。


まあ、筆者はそれも国際コンクールならではのハプニングとして、
ドメボケした香川県民にインターナショナルな刺激を与える
いい機会だとは思っているのだが。


それにしても、今回の白眉は、ドイツ人コンテスタントが2名いることだ


ドイツは主要都市にはすべて音楽大学があるという音楽教育大国なのだが、
これでようやく高松コンクールもドイツ人に目を付けられるようになったか、
という感慨はある。


チャイコフスキー、ショパン、エリザベート、ロン・ティボーの各コンクールに比肩する
ミュンヘンコンクールを催す国だけに、どのようなレベルか、興味を引くところだ。


ちなみに、女性のカテリーナ・マイ・グレーベは、
顔だちとマイという名前から見て、日系ドイツ人の可能性大。



2017年12月18日月曜日

続・増補版リヒャルト・ヴァーグナー絡みの競走馬名鑑

懸案であった、楽劇「ニーベルングの指輪」全4部作関係を追加してみた。

総評として、

1 複数のウマに系統的にヴァーグナー作品登場人物の名前を付けている馬主が
    何人かいるが、団体名も含めて、一見明白にワグネリアンで、
    逆に、ウマにヴァーグナー絡みの名前を付けることで、
    俺はワグネリアンだと誇示して、
    「キタサンブラック」とは格が違うんだと言わんばかりに、ハクを付けているように思える。

2 競走馬名は電光表示板の関係で、カタカナ9文字までと中央競馬会で決まっている。
    その制限の中で、中途半端な名前の付け方になった馬、
    例えば「マチカネタンホイザ」(さぞやタンホイザーとしたかったであろう。)、
    「エルザブラバント」(エルザ・フォン・ブラバント=ブラバントのエルザとしたかったであろう。)を
    見るたびに、馬主の無念さが伝わってくる。

3 こういう研究も、地勢学の本領だ。
    世界の王族、富豪にはワグネリアンが多い。
    それにあやかりたいという馬主の渇望が、馬名を通じて見えてくる。


リヒャルト・ヴァーグナー
ドラゴンワーグナー:馬主 窪田康志
ワグネリアン:馬主 金子真人ホールディングス


歌劇「さまよえるオランダ人」関係
ダーラント:馬主 門野重雄
エリック:馬主 門野重雄


歌劇「タンホイザー」関係
マチカネタンホイザ:馬主 細川益男
タンホイザー:馬主 門野重雄
タガノエリザベート:馬主 八木昌司
(筆者注:「エリーザベト」としないところを見ると、ミュージカル「エリザベート」から取ったのかも。)
ウォルフラム:馬主 キャロットファーム


歌劇「ローエングリン」関係
ローエングリン:馬主 社台レースホース
エルザブラバント:馬主 平井頼行
ヘイセイエルザ:馬主 加藤章
(映画「野生のエルザ」から取ったのかも。以下同)
レッドエルザ:馬主 東京ホースレーシング
オルトルート:馬主 村野康司
ゴットフリート:馬主 キャロットファーム


楽劇「トリスタンとイゾルデ」関係
トリスタン:馬主 伊達秀和
イゾルデ:馬主 伊達秀和


楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」関係
 マイスタージンガー:馬主 山崎淨
 エッケザックス:馬主 社台レースホース


楽劇「ニーベルングの指輪」全4部作関係
序夜「ラインの黄金」
ヴォータン:馬主 門野重雄
ローゲ:馬主 門野重雄
フリッカ:馬主 門野重雄
エルダ:場主 日下部勝徳
ダイコーフライア:馬主 日下部勝徳
シンボリドンナー:馬主 シンボリ牧場
メイショウドンナー:馬主 松本好雄
ヴォークリンデ:馬主 キャロットファーム
フロースヒルデ:馬主 宮川保

第1夜「ワルキューレ」(以下、前作と重複する登場役は省略)
ワルキューレ:馬主 加藤裕朗
サトノワルキューレ:馬主 サトミホースカンパニー
ジークムント:馬主 吉田勝己
サクラジークリンデ:馬主 さくらコマース
ブリュンヒルデ:馬主 加藤裕朗 
オルトリンデ:馬主 グリーンファーム
ジークルーネ:馬主 グリーンファーム
ロスヴァイセ:馬主 キャロットファーム

第2夜「ジークフリート」
ジークフリート:馬主 新井利彦

第3夜「神々の黄昏」
ハーゲンベック:馬主: 廣嶋景子


舞台神聖祝典劇「パルジファル」関係
パルジファル:馬主 池谷誠一
グラールストーン:馬主 吉岡泰治
アンフォルタス:馬主 米田裕一

2017年12月17日日曜日

リヒャルト・ヴァーグナー絡みの競走馬名特集

当ブログの鑑タグで、堀尾研究員から筆者のことを
「牟礼町原でダントツ1位のワグネリアン」との尊称を頂戴しているが、
筆者の知る範囲では、香川県内では5本の指に入る本来の意味での
 「ワグネリアン」であることは間違いない。


しかし、金持ちの中には、有り余るカネを持って競走馬のオーナーとなる一方で、
豪華なオペラにうつつを抜かしている方もおいでと見える。


良く言えば、競走馬の命名から見ると、赤新聞を読む庶民のレベルを超えた、
相当の知性を持った方もおいでのようで、さすがにロシア語は見たことがないが、
英語のみならず独、仏、伊、西等大陸系西欧諸言語を駆使した命名をされている方には
限りなき敬意を表するときがある。


ワグネリアンの筆者としては、
いかにヴァーグナーの作品の名が競走馬に反映されているか、
そのような馬主は相当のインテリであろうことを想像しつつ、列挙する。



リヒャルト・ヴァーグナー
ドラゴンワーグナー:馬主 窪田康志
ワグネリアン:馬主 金子真人ホールディングス


歌劇「さまよえるオランダ人」関係
ダーラント:馬主 門野重雄
エリック:馬主 門野重雄


歌劇「タンホイザー」関係
マチカネタンホイザ:馬主 細川益男
タンホイザー:馬主 門野重雄
タガノエリザベート:馬主 八木昌司
(筆者注:「エリーザベト」としないところを見ると、
ミュージカル「エリザベート」から取ったのかも。)
ウォルフラム:馬主 キャロットファーム


歌劇「ローエングリン」関係
ローエングリン:馬主 社台レースホース
エルザブラバント:馬主 平井頼行
ヘイセイエルザ:馬主 加藤章
(映画「野生のエルザ」から取ったのかも。以下同)
レッドエルザ:馬主 東京ホースレーシング
オルトルート:馬主 村野康司
ゴットフリート:馬主 キャロットファーム


楽劇「トリスタンとイゾルデ」関係
トリスタン:馬主 伊達秀和
イゾルデ:馬主 伊達秀和


楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」関係
マイスタージンガー:馬主 山崎淨
エッケザックス:馬主 社台レースホース


楽劇「ニーベルングの指輪」4部作関係
序夜「ラインの黄金」、第1夜「ワルキューレ」、
第2夜「ジークフリート」、第3夜「神々の黄昏」
これは後日にしよう。登場人物が多すぎる。


舞台神聖祝典劇「パルジファル」関係
パルジファル:馬主 池谷誠一
グラールストーン:馬主 吉岡泰治
アンフォルタス:馬主 米田裕一

2017年12月10日日曜日

続・命名権売り奇譚

11月12日付けで公立ホールの命名権にまつわる因縁話を書いたが、
この問題にまつわる珍談・奇談には事欠かない。


同因縁話の最後に「観音寺も新築のホールに訳の分からん名前を付けとるが、」と
お茶を濁しておいた問題をここでご披露しよう。


観音寺市が付けた新市民会館の名前は「ハイスタッフホール」。
この名の由来については「ハイ」は「高い」の意の「high」と
なんとなく想像していたが、「スタッフ」については、
このホールの指定管理は、11月12日付けの因縁話の前半の主人公、
穴吹エンタープライズ㈱が懲りもせずに取っている。


同因縁話にも書いたとおり、犯罪まがいの事件をおこした会社の兄弟会社が
「high staff」は厚かましいし、観音寺市も少しはまともな理性を持っているのなら、
高い質のものが詰まっているという意に取れる「high stuff」だろうと、
筆者、非常に良心的に解釈していた。


しかし、ここは真実の求道者たる筆者、確証を得るためハイスタッフホールに電話すると、回答は事もなげに

「命名権取得者がカタカナで「ハイスタッフ」とするよう条件を出したので、
そのとおりにしております。」

「では、スタッフの意味はstaffなのかstuffなのか分からないんですか?」

「命名権取得者が人材派遣会社なので、どちらにも取れますが、
我々では関知しておりません。」

で、「ハイスタッフ」を検索すると、同名の人材派遣会社が観音寺に有る。
電話して、
「おたくが市民会館の命名権を取得したということを聞いた。
スタッフはどちらの意味?」と聞くと、「こちらからお電話します。」


しばらくしてかかってきたのは何と観音寺市。「ホールの命名で何か?」

「おたくでないわ。
命名権を取ったハイスタッフの社名の“スタッフ”はどちらの意味か知りたいんや。」

で、しばらくするとまたもやハイスタッフ側から電話があり、
「aの方のstaffでよろしゅうございます。」とのこと。


「兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール」の「KOBELCO」は
ブランド名で社名ではない。


社名を直接ホールに命名すると、本社、関連会社いずれかで不祥事があると、
ホール名に傷を付けることは「穴吹」が証明している。


観音市も命名権取得者が不祥事を起こさないよう監視するとともに、
ありがたいことには(?)、こちらの場合は最悪そういうことが
起きたときは命名権を取り上げて
「High Stuff Hall」と名を変え、
チラシやチケットは素知らぬ顔でハイスタッフホールとカタカナで書き続ける。


この悪知恵は使えますよ、観音寺市担当者さん。 
 


2017年12月9日土曜日

恐るべし!天下のマリインスキー歌劇場管弦楽団に勝った東大オケ

2014年8月11日、サンポート大ホールでの東大オケ演奏会。
呼び物はチャイコフスキーの5番。
プロでも危うい思いのする第2楽章のホルン独奏。


まあ、地元オケでは、プロ・アマを問わず完璧に演奏したのを聞いたことがない。
音をはずすかプロプルと装飾音符(?)が着き、はらはらし通しになる。
しかし、何と東大、アマの分際で、完璧にやりおった。見事だ。
バブル時代、在京9オーケストラの中の上以上の音を出すと
評されたのは決して誇張ではない。


時は移り、一昨日2017年12月4日、県民ホールのヴァレリー・ゲルギエフ指揮
マリインスキー歌劇場管弦楽団の同じくチャイコの5番。


ウィーンフィル、ベルリンフィルの次に来ようかという世界的名門オケのホルンが、
何とくだんの第2楽章のソロで、1回だけだが小さく「プルッ」という望まざる
“装飾音符”を付けた。
上記の東大ホルン、男をあげたなあ。というより、恐るべきかな東大オケ。


にしても、さすがと言ったらいいのか、歌劇場管弦楽団だけあって、
オケピットの中からよく響かせるようにヴァイオリンの音がでかいのか、
ロシア人のバカでかい図体からくる弓の圧力がヴァイオリンの音を
バカでかくしているのかその影響で、ラフマニノフのPコン2番を弾いた
高松出身松田華音のピアノの音が完全に食われていた。


前回2015年7月5日
ミハイル・プレトニョフ指揮ロシア・ナショナル響とチャイコの
Pコンをやったときは、オケの音がもっと優しかった。
ふむ、プレトニョフは男色家として、そちらの世界でも有名人。その影響有りか?


因みに、松田華音、幼いころからロシアに渡ったせいで、
日本語が十分に理解できないらしく、前回CDにサインをしたときは、
ロシア語の通訳が付いていたくらいだから、普通ではない。


もっとも筆者、片言のロシア語を駆使して通訳は不要。
故郷のオヤジ世代のまさかのロシア語に、彼女、それなりに喜んでいた。

2017年11月18日土曜日

「男性茶道軍団」とは変な言い方ではないか?

県内に「男性茶道軍団××」を称するグループがある。

この団体名の命名の裏には、茶道は女性がたしなむものとの認識が先に立ち、
男性でたしなむのは少数派数寄者的選民思想が頭にあるから、
このようなことを言い出すのであろうが、笑止。

茶道は基本的には「男性茶道軍団」などと言わなくとも、
男の世界発生のものである。

茶道の歴史的経緯を見れば、
このグループの茶道文化と歴史認識の咀嚼不十分さが垣間見える。


茶道を歴史的に見るとき、その根底にあるのは「無礼講」の発想だ。

茶道が隆盛したのは室町時代後期から安土桃山時代。

なぜ、こんな戦国動乱の世に茶道がヒットしたのかは、
無礼講の本来の意味を追いかけて行くと、非常に明快に理解できる。


室町時代の公式の場を支配したのは小笠原礼式である。

「面(おもて)を上げい」と殿に言われるまで、
カエルのごとく這いつくばって下を向いているのもこの礼式の影響だ。

要するに、下座にいる者は上座の者とは直接話ができない。
側近の家老とか小姓に向かって間接的に話す。

家老が、「今の話いかがいたしましょうか?」と殿に取り次ぐと、
「良きにせい」とか「ならぬ」とかの回答が出る。

これでは、例え面前であっても微妙なニュアンスは伝えられない。
機微な話はできにくい。

そこで開発されたのが、無礼講。

特に、戦勝祝いの酒席などでは、
身分の低い者でも大手柄を立てたりすると、
その日のスターにしてやりたい。

こういう場では一言、殿の「今夜は無礼講じゃ」ですべては解決する。

この一言で上下の差はなくなり、日頃は殿に直接お目通りできない者も、
このときばかりは殿に直接お酌ができる。

「おお、そうか。そちが先の戦で敵方の大将××と相まみえ、見事首をあげた〇〇か!」
で話が進む。

そういう意味では、現代の「無礼講」は本来の意味をかけ離れている

本気で無礼をしていい場という意味で使われているから、たまったものではない。


下の図は、江戸時代初期の絵画、
太平記絵巻の第一巻、『 後醍醐天皇御治世事付武家繁昌事 』

 室町より少し前、鎌倉時代後期の、本来の無礼講のイメージ。




フジ・サンケイグループの故鹿内春雄議長が、
初めて視聴率三冠王を取ったときの社内祝賀会で、

「今夜は無礼講だ。備品を壊す以外、何をやってもいい。」
と参加者に宣したというが、

マスコミの覇者がこのニュアンスで無礼講を言っていいのかと、常識を疑いたくなる。


茶道もこの延長で、
茶道の精神の根底のあるのは「主」と「客」のみ。

身分は関係ない。
間に家老は入らない。

ゆえに茶の席では、上下の身分、
敵味方等あらゆるしがらみを取り払い、
対等に一対一で話ができる。

敵方の使者、いや内通者であっても密かに話ができる。


茶室は、その最適環境を提供できるよう、
極論すれば密談がしやすいよう、利休の建てた茶室などは極端に狭い。

このような場を活用するのは、当然のごとく武士。

戦国後期になると、武士と取引のある武器商人もこれに加わる。
堺出身の千利休、今井宗久などがそうだ。

したがって、茶道は基本的には「男性茶道軍団」などと言わなくとも、
男の世界発生のもの。現代の料亭政治に近い。


女性がこの世界に進出始めたのは、
明治以降の女子教育が叫ばれだした折、
行儀見習いの手段として、富裕層の通う女学校で教え始めたのがスタートで、

それまで、江戸時代などは武家をもてなす遊女が学んでいたくらいだから、
基本的に市井の女性の行儀見習いの範疇には入っていなかった。


ということで、
明治期以降に女性の礼儀見習いの手段として導入された茶道は、
洋装の普及で和装をすることの少なくなった呉服業界の恰好のカモにされ、

茶道=和装のイメージを定着させ、
茶道業界は呉服業界と裏で手を結び、相互に莫大な利益をもたらすようになった。

「男性茶道軍団」もその片棒を担ぎ、和装の男性写真を売り物にしている。

正体を知ると、茶道の崇高さが半減するのが何とも悲しい。



2017年11月17日金曜日

バイロイト音楽祭『指揮者にとっての伏魔殿-バイロイト』

本稿を書くにあったてグーグルを検索していたら、
本サイト鑑賞履歴・今年11月4日の主役、
アンドリス・ネルソンスが昨年のバイロイト音楽祭での
舞台神聖祝典劇パルジファルの指揮を放棄したことが載っていて仰天した。

かつては、全国・関東ネタは日経、関西ネタは朝日、
ローカルは四国と、3紙をびっしり読んでいた筆者だが、
ここ数年、寄る年波には勝てず、目が弱って、四国1紙すら読みかねている。

かつての筆者なら、
こんなことはリアルタイムで知っていただろうが、情けない。

で、本論に戻るが、開設後140年を越えるバイロイト音楽祭は、
いまだに絶対的権威を誇っており、他に比肩するものがあるとすれば
ザルツブルク音楽祭かというところだが、
指揮、演出、オケ、歌手それぞれが話題を醸し出すという点では
バイロイトが半馬身の差で先頭を突っ走っている。

中でも誰がどの作品を、
特に誰がその年の指輪4部作を振るかは新聞の文化欄の必須ネタであろう。

バイロイトを振った指揮者は、それこそ指揮者列伝として名を連ねることになり、
その名を見れば、その時代のトップ指揮者が誰か分かるくらいだが
そのすべてが円満に指揮台に立ったわけではない
バイロイトは指揮者にとっての『 伏魔殿 』と言われるゆえんだ。

しばらくは、悲喜こもごものバイロイト指揮者群像を回想しよう。

バイロイトは、
劇場構造が非常に特殊-オケピットが舞台の真下にある-ため、
物理的な構造が体質に合わない指揮者が出てくる。

舞台の上の歌手や合唱の発する音声と、
舞台下から発するオケの音にズレが出たりするから、
合唱指揮者のサポートが必須。

このズレが気に食わず、
1回でバイロイトの指揮台を降りたのがゲオルグ・ショルティー

↓ 1983年 バイロイト音楽祭、ゲオルグ・ショルティー指揮のニーベルングの指環


かの帝王ヘルべルト・フォン・カラヤン
1951年・52年の2回でサヨナラ組だが、その理由たるや、
こちらはまずバイロイトのオーケストラの特殊性からスタートしなければならない。


欧州の歌劇場は夜の長い9月から翌年6月あたりまでがシーズンで、
バイロイト音楽祭やザルツブルク音楽祭の開催される7~8月は
歌劇場の夏季休暇シーズンと重なる。

従って、バイロイトの舞台に参集するのは、
貴重な夏季休暇をつぶしてでもヴァーグナーをやりたいという、
世界中の筋金入りヴァーグナー愛好演奏家ということになる。

それがゆえに、バイロイトほどになると、
親子2代でオケピットに入る楽団員も少なくない。

連合国のヒトラーへの怨念が和らぎ、
戦後ようやくバイロイト再開となった1951年となると、

楽団員の中には父親が
”ヴァーグナーご本尊の指揮の下に演奏した”という猛者もいて、
「親父はヴァーグナーからこうやれと言われたんだ」と、
当時は若造であったカラヤンの指示に耳を貸さない者もいたというから、
プライドの高いカラヤンなど、さぞややりにくかっただろう。


自らバイロイトを去ったというのならまあ恰好もつくが、
ヴァーグナーの孫にしてバイロイトの総裁であった
ヴォルフガング・ヴァーグナーから放逐されたのは、ガリー・ベルティーニ

この人、出自はユダヤ人で、
得意のマーラー(この人もユダヤ人)を武器に、
ケルン放送響を世界トップクラスのオケに引き上げた功績がある。

県民ホールにも平成2年2月9日に来演し、
マーラーの9番を堪能させてくれただけに、
(ビオラの四方恭子、オーボエの宮本文昭もこのときのメンバー)
このニュースを聞いたときはショックだった。


(あの小澤征爾を出し抜いて)
日本人というより東洋人で初のバイロイト指揮の栄誉をつかんだのは、
大阪フィル桂冠指揮者の大植英次

2005年の『トリスタンとイゾルデ』だったが、
現地でも日本でも評価はケチョンケチョン。

ケチの総括をすれば、
”全体の融和を図るため個性を出せず”、かと言って、
”強い統率力を示したわけでもない”、と、

まあ、日本人そのものの評価をステレオタイプに言っているような気もするが、
結果的に、1年でサヨナラ組になった。

同時期、小山由美が日本人初の
5年連続バイロイト出演(「ワルキューレ」役)の
偉業を成し遂げているだけに、余計に比較される。



2017年11月13日月曜日

スカ続きの兵庫県立芸術文化センター命名権売り

最近は地方自治体財政難の折から、公立の、いわゆるハコモノの運営は

『 指定管理者制度の採用で経費を値切り、
その上に命名権を売ってカネをふんだくる 』

で、清く正しく美しい公立ホールの運営からは程遠い現実を見せられて、
ゲンナリすることがある。

香川県県民ホールなど、指定管理者制度スタート時は
穴吹エンタープライズ(株)が指定管理を取り、

命名権も親会社穴吹興産(株)が取って、
『 アルファあなぶきホール 』だったかの名前にしていたが、

「 こんな長ったらしい名前など覚えられるか 」
で、私的には言い慣れて短い『 県民ホール 』で通してきた。

しかし、である。
公共放送NHKであればどうすべきであったのだろうか。

少なくとも筆者は、
本来は言わなければならないはずと思っていた
「アルファあなぶきホール」と言わず、
「香川県県民ホール」と放送し続けたのを視聴してきたから、
もう噴飯モノだ。

何のために穴吹興産は県に高い命名権料を払っていたんですかなあ。

ただ、ここにも落し穴があった。

この穴吹興産の子会社にして指定管理者穴吹エンタープライズの
兄弟会社(株)穴吹ハウジングサービスが管理していたマンション管理組合のカネを
社員や管理員が横領して、逮捕者こそ出なかったものの、

四国地方整備局から業務改善指示は受けるわ、

管理していた駐車場について、
地主に支払うべき消費税増税に伴う転嫁分経費の支払いを渋って、
公正取引委員会からお目玉を食らうわ

で、「穴吹」という名に傷が付いたというか、聞こえが悪くなってしまった。

何せ、ホールはイメージの場ですからなあ。

このことに恭順の意を表したのか、命名権の方は(株)レグザムに譲ったが、
指定管理ではいまだに穴吹エンタープライズがかじりついている。
大丈夫かいな。


この点、もっとセコさを感じるのが
西宮市高松町(!)にある兵庫県立芸術文化センター。

ここは大ホール、中ホール、小ホールがあるが、
そのホールごとに命名権を分売しているからややこしい。で、現状では

KOBELCO大ホール
阪急中ホール
神戸女学院小ホール

となっているのだが、最初の問題は神戸女学院から起こった。

他の2社はホールなど持っていそうにない会社ばかりだが、
ミッション系大学神戸女学院は実際、キャンパス内にホールを持っている。

宗教音楽のコンサートなど、チケットに書いた所在地をよく確認しないまま、
神戸女学院キャンパス内のホールでコンサートが開催されるものと勘違いして
そちらに行く人続出となると、これは笑いごとではすまされない。

さらに
KOBELCO大ホールブランドの本家本元(株)神戸製鋼所で、この10月に
アルミ製品等のデータ改ざんが発覚し、世界レベルのスキャンダルになったとなれば、
そんな企業の冠ホールに嬉々として行く気は起こるまい。

プロモーターも兵庫県立芸術文化センター大ホールで通すだろうな。

だから、筆者、香川県内のホールで大小ホールがあるところは、

県民ホール大ホール
                  小ホール

サンポート大ホール
       1小
       2小

観音寺も新築のホールに訳の分からん名前を付けとるが、
 
観音寺の大ホール
               小ホール

で十分。 

2017年11月10日金曜日

わがマンションの前の国道

11月18日(土)午前、全国育樹祭参加で高松に降り立つ皇太子が
午後、牟礼町にあるイサム・ノグチ庭園美術館を見学に行く関係で、
わがマンションの前の国道を通ります。

マンションが建った当初は行啓があるごとに、
公安と警備、両部門の警察が連携を取らずに住民調査に来まくるもんで、
住民から文句が出て警察に文句を言いに行ったことがあります。

かつては、沿道の車屋など、
車の尻を道路側に向けて止めるな、
とまで指示が出たそうですから、油断はなりません。

トラブルがあったときの対応で、役員が待機する必要がありそうです。




2017年10月25日水曜日

24年前のパンフレット(岩崎洸氏のチェロ・リサイタルに寄せて)

古い記事を紹介いたします。

24年前に行われた
岩崎洸氏のチェロ・リサイタルのパンフレットです。

岩崎洸で検索すると
現在、桐朋学園大学院大学教授であり、
アメリカに本拠を置きながら世界各地で演奏を続けている。とのこと。

氏のリサイタルに寄せた
小生の記事もあわせてご覧ください。


掲載年月日:1993年ごろ
題目:やぶにらみのチェリストたち
筆名:近藤昌紀



2017年9月25日月曜日

このブログを読んでくださってる皆様へ

拝啓

このブログを読んでくださってる皆様へ

7月8日付けの近藤ブログ
「結局、筆者のたどりついた結論は、『比較衡量論』です。法律論の言葉です。
多数の利益を優先し、少数の利益を軽視しているということです。」は、
このままでは法律論として誤解を招きます。
私は法律家ではなくとも法律の世界で生きてきた人間なので、
以前から気になっていたこの標記を正しく導きたいと思います。

ブラボーが騒音か否かを判断するアナロジーとして、
比較衡量論が焦点になった有名な大阪空港騒音訴訟を引用しましょう。

町中にある大阪伊丹空港は、
夜中にまで飛行機を離発着させるメリットは有るのか。

その騒音で生活を脅かされる住民の数は膨大だ。

騒音を出してまで夜中に飛行機を発着させる利益と、
住民の受ける騒音による被害を比較衡量した結果、
住民の受ける被害の方が、深夜離発着のメリットよりも大きい。

ゆえに、大阪空港の夜間離発着の差し止めを認める。

こういう趣旨の判決です。

単純に「多数の利益を優先し、少数の利益を軽視している」という量的比較でなく、
性格の違うものを比較し、公益的見地からどちらを取るかという観点が強いです。

因みに、米軍基地を巡るこの手の訴訟は、ことごとく住民敗訴です。
日米安保条約という後ろ盾があるため、
日本の安全保障と住民の安寧な生活の比較衡量では、
国益優先となる、(というより、米軍優先となる)のです。

その結果、
①ブラボーを単純にうるさいとのたまう群、
というより教化されていなくて必要性を理解していない群(確かにこちらが多数派なのかも)と、

②うるさいけれども、それは外国文化の伝承として正しいやり方を踏襲しているんだ。
これがないと、舞台の上と下の交流として仕組まれた数々の仕掛けがうまく発揮できない。
ゆえに、日本では必要悪かもしれないが、なければ正当な客席文化が途絶えることのデメリットと
単純にうるさいとブラボーを排除することが聴衆の利益につながるのか

を比較衡量すると、ブラボーやむなしと考える群(こちらは少数派なのかも)。

どちらを採用するかの議論です。
単純な数の比較の問題とは似て非なるものです。

敬具

2017年7月8日土曜日

ブラーボの賞賛もあるということ

ブラーボを悪とみなして
(1)投書する
(2)発信する
(3)会場関係者、主催者に文句を言う
等、こき下ろすのは非常に簡単だと思う。

逆に、ブラーボを善とみなして
(1)投書する
(2)発信する
(3)会場関係者に賞賛を言って、もっとさせる
(4)直接会場で筆者をつかまえて賞賛してくださる
というのは、これはなかなかないです。

結局、筆者のたどりついた結論は、
『比較衡量論』です。法律論の言葉です。

多数の利益を優先し、少数の利益を軽視しているということです。


賛否両方ある中で、こき下ろしもありました。
しかし、ブラーボの賞賛もありました。

例えば
(1)筆者の方に向かって答礼した。
(2)親指を立てて腕を伸ばし、筆者の声のする方向に向けた。
(3)マイクで、「暖かいご声援ありがとうございます」的なことを言ってくれた。
(4)アンコールの曲数が増えた。
(5)原則アンコールはしない演奏者のコンサートで、会場係りがドアを開けて
客の出るのを待っていたら、全く予定外にアンコールを始めた。

(5)は、「ロシア語でブラーボに出した彼に応えた。それを伝えてくれ」ということで、
演奏者からプロモーター経由で、私への言葉をいただきました。


はっきり言ってブラーボによるご利益はあったにしても、
それを公表したり発信したりは、なかなかしてくれないです。

こんな場合、「素晴らしいコンサートだった」に
一緒くたに丸め込まれてしまって、表に出ない。

ブラーボを善とみなして
公表したり発信してくれれば
ブラーボを理解してくれる人も増えると思います。

2017年7月2日日曜日

反ブラボー派のご意見中、こう言われるとグサッとくるなと思ったこと

反ブラボー派のご意見中、こう言われるとグサッとくるなと思ったこと

1.ブラボーが必要なことは分かるが、日本には日本のやり方があってもいいのではないか。
2.同じく高松においてもブラボーが必要なことは分かるが、香川のレベルでは10年早い
3.今日のブラーボは会場のレベルから見れば過剰で、完全に浮いていた

2は、 
クラシック音楽をプロモートする側に近い2名から言われたことです。 
その一方の10年は既に過ぎてしまいました(今では。)

3は、
現役のヴァイオリニストが以前に開いたリサイタルでのことです。
この日の司会進行役が、筆者のブラーボ推進派プロモーターであり、
演奏のレベルに合わない過剰ブラーボだったということです。

2017年6月17日土曜日

ソニーのプロから聞いたスピーカのバリの直し方

「バランスを左にして千回ボリュームを回し、右にして千回、とにかく回す」

または、

「接触油みたいなのをスプレーに入れたもので、
ボリュームのつまみを無理やりのけて、軸の隙間から吹き込む」

一応そのスプレーも買いましたが、つまみを引っこ抜くのがこわくてできません。


私のブラボーを賞賛・賛同する自称42歳の女性が現れた。

私のブラボーを賞賛・賛同する自称42歳の女性が現れた。
「横に座ってコンサートを聴いてみたい」という。

5月6日(土)18時からの
サンポート第1小ホールの「ハン・ヨンジン フルートリサイタル」に
本当についてきて私の横に座りました。

例によって、
私はイタリア語+作曲者関連の言語と韓国語でブラーボを出したのですが、
「さっきの、演奏者の国の言葉ですか?声がけに反応してましたよ!」
と、喜んでいました。

奇しくも、5月11日に父が亡くなり、
13日の葬儀で受付が急遽必要になり、イチかバチかで頼んだら、
「13時から14時の葬儀の時間だけだったら何とかなる」
というので、これもお願いした次第です。

その人が、
「阿波踊りを見に行きたい」
と言ったので、研究所メンバーともども一緒に行くことになりそうです。
 
まあ、ブラーボに賛同するくらいだから、
阿波踊りの熱狂にも浸りたいという感覚なのでしょう。

2017年6月15日木曜日

チャイコフスキーぶち壊しの楽章間の拍手

平成29年6月11日(日)14時からの
香川県県民ホールでの高松交響楽団演奏会。

出ました!

全曲チャイコフスキープログラムの前半、
ヴァイオリン協奏曲では1楽章と2楽章の間で、
後半交響曲第6番『悲愴』」では3楽章と4楽章の間で、
客席からシラケ虫が飛んで出るような、楽章間の拍手。


これをやられると、本当に楽想がぶち壊しになる。
曲の連続性も途切れる。

曲の途中で喉飴の袋をいじくって騒音を立てる「ガサガサおばさん」こそ、
こういう楽章の間でやり、又は精出して咳、咳払いをやればいい。

そういう時間なのに。

5千円を超えるコンサートでは、ある程度の経験を積み、
礼儀を知ったマニアが来るからこういうことはないのだが、
低価格になればなるほどド素人の数が増えて、

プロモーターが注意を喚起する紙切れを
プログラムに入れるなどしないと、まず起きる。


筆者の左に座っていた音楽を志す女生徒も、
残念ながら会場の雰囲気に呑まれてVコンのときはやってしまった。


ド素人が楽章間の拍手を正しいと誤認するほどコワいものはない。

ほとんど、悪性のウィルスに感染したようなものだ。

こういうやつに限って、クラシックコンサートはありがたい崇高なもの
との前提のもと、次の会場でもやる。

ここで感染した別のド素人が、別の場でまたやる。

悪の連鎖だ。

どこかで、『 それは間違っている 』
という認識をさせるワクチンを投与しておかないと、
悲惨なことになる。



某大学の某助教授など、
あちこちのサイトで筆者のブラーボはさんざんにこき下ろすも、
こういう、ほとんど社会問題に近い音楽学の問題については、
何ら的確な提言をなすこともなく逃避していた。

とばっちりと反作用がこわかったと見える。
学者の使命と良心を忘れたか、●●よ。


それに比べれば11日の演奏会にいた、もう1人のブラボー屋。

最近あの声はときどき耳にするが、なかなかに気骨のあるやつで、
タイミングも、特に6番の最後などフライングすることもなく、実に適切だった。

できの悪い学者の小理屈よりもはるかに実践的で好感が持てる。

ブラボー屋は本来孤独な職業だが、この場を借りてエールを送っておこう。


普通は、前半で無知蒙昧な聴衆の楽章間拍手に釣られて拍手したド素人でも、
曲が終わってから2人もが豪快にブラーボをやれば、

『 あの拍手は間違っていたんだ、曲の最後じゃなかったんだ 』

と気がついて、後半の曲では最後まで拍手が出ないものなのだが、
最近の香川のコンサートは、今回も含め、とみにこれが出るようになった。

落ちたものよのう。



その原因の最たるものは、ホールの指定管理者制度だ。


自治体直営の頃は、一応まともな地元愛意識を持った公務員が
ホール運営に従事すれば、

おらがホールを「あのホールは客の質が悪い、レベルが低い」と言われるのが恥
という意識があった。

そのための、注意喚起チラシを入れるとか放送をするとかの手を打っていた。

ブラーボがうるさいとのたまう客については、
歌舞伎の「音羽屋!」「成駒屋!」の掛け声と一緒で、あれは礼儀なんですよ、
と噛んで含めるように説明していた。


ところが、指定管理者になると、
聴衆に「うるさい」と文句が出やすいブラボー(屋)は悪人にするが、

楽章の間に拍手をするやつ、
曲の最後に休止符が付いていることの意義が理解できず、
曲の終わりと同時にいきなり拍手する輩については、

せっかくお喜びになっているんだから(!?)、と野放しにする。


要するに事なかれ主義の、もう、文化の破壊者だ。

その認識はあるのか?指定管理者よ。



2017年6月13日火曜日

慙愧に堪えない6月11日髙響 + 来る3月の高松ピアノコンクール

ブラボー屋はいいが、ブラボーおじさんと軽々しく呼称されたくない
芸術関係論文発表時の近藤昌紀である。


高松国際ピアノコンクールの事務局は
今年の直木賞・本屋大賞を総なめにした大作「蜂蜜と遠雷」を
(綿密に)お読みになったであろうか?



浜松ピアノコンクールに長期取材し、同コンクール丸出しのこの小説、
一次審査の段階から「歓声」「怒号」「スタンディング・オベイション」の連続である。


また、バレリーナで日本芸術院賞、文化功労者(ということは、実質人間国宝)
であらせられる森下洋子さんは、平成7年12月28日の四国新聞紙上で、

「拍手の中でかかる「ブラボー」は一般のお客様の感動のあらわれで、
どんどん掛けていただきたいものです。
見巧者の「ブラボー」は、踊りを一層エキサイティングにしてくれる演技の一種で、
芸術的ですらあります。」

と述べられておられる。


筆者のブラボーが「芸術的」とは言わないが
何か問題になる点があれば、どの点がそうであったのか、
具体的にご指摘いただきたい。


結局、事なかれ主義で、聴衆の感情の発露を殺してまでも、
粛々と事を進めたい高松コンクール事務局の思惑は、
地方ピアノコンクールの雄、浜松コンクール、それに次ぐ仙台コンクールに著しく見劣りする、
ギクシャクしたコンクールに内容を貶めてしまった。

このコンクールの発起人、亡ドコモ四国中澤正良社長の天上での慟哭が聞こえてくるようだ。




6月11日の高響演奏会。
チャイコフスキーのVコン、6番「悲愴」でも出た、楽章の間の拍手。


楽章の間に拍手する(ということは、実質的に曲想をぶち壊す)ド素人や、
曲の最後にある休止符の意味を理解しない、
「いきなりブラボー屋」対策の紙切れの一枚もプログラムに挟まない
田舎プロモーターの鈍感さよ。


こういう間違いを何ともなしに覚えたド素人聴衆は、これを当り前のことと誤認して、
次の演奏会でも楽章間の拍手を繰り返し、曲想ぶち壊しウィルスを拡大感染させる。


もっと言わせてもらうなら、
演奏中にのど飴の袋をいじって騒音を立てる「ガサガサおばさん」、
高松ピアノコンクールの最終選考か優勝者演奏でいた、口笛か指笛を吹く者。


あれはクラシック音楽の世界ではブーイングと同等に考えられていることを
知らない輩と思われるが、このへんはどうにかならないものか、プロモーターよ。



筆者、確かにブラボー屋としては異色だ。

相手の国籍、学んだ国、演奏曲目等により、
英・独・露・中・仏・西・韓・伊・アラビア語・ハンガリー語等
十数か国語を使い分ける。




これは国際交流としては多大な効果があり、結果として筆者に答礼する者、
アンコールの曲数を増やした奏者など、その効用は枚挙にいとまがない。

現在のような指定管理者でなく、
県直営であった頃の県民ホールはこの重要性を認識していた。






直営であったころは、正統派ブラボー屋を、正邪の分からない客に、
あれは 「礼儀なんだ」 と噛んで含めるように説明していたのに、

指定管理者になると、これも事なかれ主義に押し流され、
そのようなことをすると客が嫌悪して来なくなると、悪人に仕立て上げる



ただ、聞き分けられない言語は、確かに素人には騒音にしか聞こえない。
筆者のレベルになると、そういう悲しい宿命を背負っているのだ。


筆者がどのレベルの演奏会に行ってブラーボを出しているかは、
当ブログ中、「鑑賞履歴」をご覧いただきたい。






因みに筆者、
海外ではコベントガーデン、パリオペラ座(バスチーユに移る前)、
バイアン(バイエルン)、ウィーン、バイロイト、ブダペストの
各オペラハウスを制している。


ワールドスタンダードレベルで
ものが考えられることをおことわりしておく。






2017年5月26日金曜日

名チェリストは筋金入り反体制派揃い

20世紀を代表するチェリストといえば、世紀前半はスペインのパブロ・カザルス。
世紀後半は露:ムスティスラフ・ロストロポーヴィチと言っても 誰も異を唱える者はいないであろう。  (以下、ロストロポーヴィチについては小澤征爾が使っているように、
名:ムスティスラフ = MSTISLAV = Мстислав(露) = のしっぽславに a を
付けて、славa = スラヴァ = 露語で「栄光」の意、と略す。)


この2人には、チェリストということ以外に共通点がある。
カザルスはフランコ・ファシズム独裁体制ににらまれて、
スラヴァはソビエト共産党体制下のクレムリンににらまれて、 という違いはあるが、
ともに反体制派活動が災いして、故国を放り出された経歴を持つ。

特にカザルスなど故国の自由化を訴えて、 国連総会で故郷カタルーニャ民謡『鳥の歌』を
演奏したくらいだから筋金入りの反体制派だ。

弦楽四重奏などでチェリストの動きを見ていると、 歌い放題の第一ヴァイオリンを牽制しつつ、
全体のバランスをリードし、下支えしている。

ああいう行動を続けていると、自ずから義侠心が厚くならざるを得ない。
名チェリストの反体制活動はこの延長上にあったのではないか と、
妙に納得するところがある。


ショパンコンクール・ウィナーのスタニスラフ・ブーニンなど、同じくソ連からドイツに亡命した
ピアニストだが、特に日本で、たかだかNHKで優勝時のプロセス・演奏が放送されたばかりに、 (当時の)うら若い女性に異常なブームとなり、金まみれの地獄にはまり込んだのとは対照的だ。

小澤征爾が日経新聞『私の履歴書』に書いたところによれば、 スラヴァは小澤を誘い、
ピアノとチェロを乗せたトラックで超ド田舎の小中学校を回り、 演奏活動をしたという。

その小中学校がどれだけ小澤とスラヴァのコンビの有難味を理解していたかは別として、
少なくともスラヴァは小澤を誘うのに、「面白いぜ」と誘ったというから、
これは本当に、ド田舎の小中学生が彼らの演奏に度肝を抜かれる姿を見るのを
楽しんでいたのであろう。


どこの学校や!こんなええ目したんは。


2017年1月11日水曜日

バッハの活動地域の暗い過去

あけましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願いいたします

さすがにいきなり北朝鮮音楽事情では刺激が過ぎるかもしれないので、
同じような道をたどり、
最後には崩壊した国家の話から行こう。



大バッハ、
すなわちヨハン・セバスティアン・バッハが活動した地域と言えば、
 どこが頭に浮かぶであろうか?

アイゼナッハ、ヴァイマール、ケーテン、ライプツィッヒあたりであろう。

これらの地域からバッハを抜きにして共通する、ある暗い過去とは・・・。

そう、全て旧東ドイツ。
西に統一され今はなきドイツ民主共和国版図内にあったこと。


ドイツの東西分断の賜物(?)として紹介されるのが
世界最高のレンズ会社カール・ツァイス。

第二次対戦後、旧本社イエナは東に、
一部の社員は西側オーバーコッヘンに拉致・分断されて
東西統一まで互いに覇を競ったが、

共産主義時代の東欧では、レコードレーベルは基本的に国営で、
ソ連のメロディア、チェコのスプラフォン、
そして東側の王者として君臨した東独エテルナあたりが御三家だろう。

中でもエテルナは、西のドイッチェ・グラモンフォンと
壁ひとつ隔てて競合する立場にあったから、

録音技術、演奏者共に東独というより
東側最高のものすべてを注ぎ込み、生産されたレコードは、
東独を訪れた各国要人の手土産になったというから、余程の自信があったのだろう。




しかし、である。

今はほとんど使われなくなったオーケストラの音
を形容する言葉としての「いぶし銀のような」
 という表現を覚えておいでであろうか。

東側オーケストラ、特に東独が自由化されて以降、
さっぱり使われなくなった。



では、「いぶし銀の音」とはどんな音であったのか。

香川県県民ホールの開館が1988年昭和63年11月で、
ソ連崩壊を1991年平成3年冬とすれば、
約3年の間、香川県でも東側の音を聞くことができた。

特に共産主義時代の東側オーケストラは、西側と比べると
招聘料のゼロの数が一桁少なかったから、筆者の記憶では、

ウラジミール・フェドセーエフ指揮モスクワ放送響、

ハンス・ヨアヒム・ロッチェ指揮ライプツィッヒ聖トマス協会合唱団&
ゲヴァントハウス管弦楽団によるバッハ『マタイ受難曲』、

若杉弘指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団の
ヴァーグナー『楽劇『ニュルンべルクのマイスタージンガー』前奏曲』等が
思い出に残る。

が、要するに、「腕はいいが、楽器がボロの楽団が鳴らす音」
というのが「いぶし銀」の正体だ。


東独あたり、音楽という、天然資源の必要のない、
人間さえコキ使えば西欧から高い外貨を獲得できるシゴトは
国家的におおいに奨励したが、いかんせん
いい楽器を買うカネがない。

実際、西欧のオケが金ピカ、ツヤツヤの楽器を舞台上に並べるのに対し、
東の楽団はツヤのない弦楽器(音に艶もなかった。)にサビ付きの金管ときた。

視覚的にも一目で「いぶし銀」だ。

これらの楽団も自由化されて以降、
西側に来ては新しい楽器、高価な楽器に買い替えた結果、
音色は華やかになり、(表現的にも)輝かしさが加わって、
もはや「いぶし銀のような音」は死語になりつつある。

で、北朝鮮の音が最後の旧東側の音なのか否かは、
改めて「将軍様御用達日本製楽器」の記事をご照覧あれ。