自己紹介


はじめまして。近藤紀文と申します。
当ブログにご訪問頂き、ありがとうございます。

このブログでは演奏会(ライブやコンサート)参加の履歴や
日常生活で思ったことについて、様々な視点で書いていきます。

どうぞよろしくお願いいたします。


2017年7月8日土曜日

ブラーボの賞賛もあるということ

ブラーボを悪とみなして
(1)投書する
(2)発信する
(3)会場関係者、主催者に文句を言う
等、こき下ろすのは非常に簡単だと思う。

逆に、ブラーボを善とみなして
(1)投書する
(2)発信する
(3)会場関係者に賞賛を言って、もっとさせる
(4)直接会場で筆者をつかまえて賞賛してくださる
というのは、これはなかなかないです。

結局、筆者のたどりついた結論は、
『比較衡量論』です。法律論の言葉です。

多数の利益を優先し、少数の利益を軽視しているということです。


賛否両方ある中で、こき下ろしもありました。
しかし、ブラーボの賞賛もありました。

例えば
(1)筆者の方に向かって答礼した。
(2)親指を立てて腕を伸ばし、筆者の声のする方向に向けた。
(3)マイクで、「暖かいご声援ありがとうございます」的なことを言ってくれた。
(4)アンコールの曲数が増えた。
(5)原則アンコールはしない演奏者のコンサートで、会場係りがドアを開けて
客の出るのを待っていたら、全く予定外にアンコールを始めた。

(5)は、「ロシア語でブラーボに出した彼に応えた。それを伝えてくれ」ということで、
演奏者からプロモーター経由で、私への言葉をいただきました。


はっきり言ってブラーボによるご利益はあったにしても、
それを公表したり発信したりは、なかなかしてくれないです。

こんな場合、「素晴らしいコンサートだった」に
一緒くたに丸め込まれてしまって、表に出ない。

ブラーボを善とみなして
公表したり発信してくれれば
ブラーボを理解してくれる人も増えると思います。

2017年7月2日日曜日

反ブラボー派のご意見中、こう言われるとグサッとくるなと思ったこと

反ブラボー派のご意見中、こう言われるとグサッとくるなと思ったこと

1.ブラボーが必要なことは分かるが、日本には日本のやり方があってもいいのではないか。
2.同じく高松においてもブラボーが必要なことは分かるが、香川のレベルでは10年早い
3.今日のブラーボは会場のレベルから見れば過剰で、完全に浮いていた

2は、 
クラシック音楽をプロモートする側に近い2名から言われたことです。 
その一方の10年は既に過ぎてしまいました(今では。)

3は、
現役のヴァイオリニストが以前に開いたリサイタルでのことです。
この日の司会進行役が、筆者のブラーボ推進派プロモーターであり、
演奏のレベルに合わない過剰ブラーボだったということです。