自己紹介


はじめまして。近藤紀文と申します。
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このブログでは演奏会(ライブやコンサート)参加の履歴や
日常生活で思ったことについて、様々な視点で書いていきます。

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2017年9月25日月曜日

このブログを読んでくださってる皆様へ

拝啓

このブログを読んでくださってる皆様へ

7月8日付けの近藤ブログ
「結局、筆者のたどりついた結論は、『比較衡量論』です。法律論の言葉です。
多数の利益を優先し、少数の利益を軽視しているということです。」は、
このままでは法律論として誤解を招きます。
私は法律家ではなくとも法律の世界で生きてきた人間なので、
以前から気になっていたこの標記を正しく導きたいと思います。

ブラボーが騒音か否かを判断するアナロジーとして、
比較衡量論が焦点になった有名な大阪空港騒音訴訟を引用しましょう。

町中にある大阪伊丹空港は、
夜中にまで飛行機を離発着させるメリットは有るのか。

その騒音で生活を脅かされる住民の数は膨大だ。

騒音を出してまで夜中に飛行機を発着させる利益と、
住民の受ける騒音による被害を比較衡量した結果、
住民の受ける被害の方が、深夜離発着のメリットよりも大きい。

ゆえに、大阪空港の夜間離発着の差し止めを認める。

こういう趣旨の判決です。

単純に「多数の利益を優先し、少数の利益を軽視している」という量的比較でなく、
性格の違うものを比較し、公益的見地からどちらを取るかという観点が強いです。

因みに、米軍基地を巡るこの手の訴訟は、ことごとく住民敗訴です。
日米安保条約という後ろ盾があるため、
日本の安全保障と住民の安寧な生活の比較衡量では、
国益優先となる、(というより、米軍優先となる)のです。

その結果、
①ブラボーを単純にうるさいとのたまう群、
というより教化されていなくて必要性を理解していない群(確かにこちらが多数派なのかも)と、

②うるさいけれども、それは外国文化の伝承として正しいやり方を踏襲しているんだ。
これがないと、舞台の上と下の交流として仕組まれた数々の仕掛けがうまく発揮できない。
ゆえに、日本では必要悪かもしれないが、なければ正当な客席文化が途絶えることのデメリットと
単純にうるさいとブラボーを排除することが聴衆の利益につながるのか

を比較衡量すると、ブラボーやむなしと考える群(こちらは少数派なのかも)。

どちらを採用するかの議論です。
単純な数の比較の問題とは似て非なるものです。

敬具