20世紀を代表するチェリストといえば、世紀前半はスペインのパブロ・カザルス。
世紀後半は露:ムスティスラフ・ロストロポーヴィチと言っても
誰も異を唱える者はいないであろう。 (以下、ロストロポーヴィチについては小澤征爾が使っているように、
名:ムスティスラフ = MSTISLAV = Мстислав(露) = のしっぽславに a を
付けて、славa = スラヴァ = 露語で「栄光」の意、と略す。)
この2人には、チェリストということ以外に共通点がある。
カザルスはフランコ・ファシズム独裁体制ににらまれて、
スラヴァはソビエト共産党体制下のクレムリンににらまれて、
という違いはあるが、
ともに反体制派活動が災いして、故国を放り出された経歴を持つ。
特にカザルスなど故国の自由化を訴えて、
国連総会で故郷カタルーニャ民謡『鳥の歌』を
演奏したくらいだから筋金入りの反体制派だ。
弦楽四重奏などでチェリストの動きを見ていると、
歌い放題の第一ヴァイオリンを牽制しつつ、
全体のバランスをリードし、下支えしている。
ああいう行動を続けていると、自ずから義侠心が厚くならざるを得ない。
名チェリストの反体制活動はこの延長上にあったのではないか
と、
妙に納得するところがある。
ショパンコンクール・ウィナーのスタニスラフ・ブーニンなど、同じくソ連からドイツに亡命した
ピアニストだが、特に日本で、たかだかNHKで優勝時のプロセス・演奏が放送されたばかりに、
(当時の)うら若い女性に異常なブームとなり、金まみれの地獄にはまり込んだのとは対照的だ。
小澤征爾が日経新聞『私の履歴書』に書いたところによれば、
スラヴァは小澤を誘い、
ピアノとチェロを乗せたトラックで超ド田舎の小中学校を回り、
演奏活動をしたという。
その小中学校がどれだけ小澤とスラヴァのコンビの有難味を理解していたかは別として、
少なくともスラヴァは小澤を誘うのに、「面白いぜ」と誘ったというから、
これは本当に、ド田舎の小中学生が彼らの演奏に度肝を抜かれる姿を見るのを
楽しんでいたのであろう。
どこの学校や!こんなええ目したんは。