自己紹介


はじめまして。近藤紀文と申します。
当ブログにご訪問頂き、ありがとうございます。

このブログでは演奏会(ライブやコンサート)参加の履歴や
日常生活で思ったことについて、様々な視点で書いていきます。

どうぞよろしくお願いいたします。


2021年5月30日日曜日

余はいかにしてワグネリアンとなりしか ー運命の女神ノルンのつむぐ綱は未だ切れず、筆者とつながっている一 その1

小生著の古い記事を紹介いたします。

掲載年月日:2008年11月
掲載元:香川日独協会会報第14号
題目:余はいかにしてワグネリアンとなりしか
ー運命の女神ノルンのつむぐ綱は未だ切れず、筆者とつながっている一

筆名:近藤昌紀


・日経新聞は裏から読む
日経新聞の裏面は文化欄となっているが、
その内容たるや、経済紙と呼ぶにはもったいないほど、
質の高い文化情報が満載されている。

その上、毎日曜日に、見開き2面をさいて、数回シリーズでテ ーマを決めて、
世界の名画を総力ラーで紹介する「美の美」欄もあり、
筆者のようなエセ文化人気取 り(にも至らない、どう見ても「文化ペテン師」)にとっては、恰好の情報源となっている。

さて、この日経文化欄の右肩てっぺんに、連続もののコラムがある。

各界の文化人が、好みの、又 は、得意のテーマをもとに、
絵画を主とした、視覚で感知できる芸術作品を、
作品の写真付きの10 回シリーズで紹介・解説するというもので、
写真がモノクロであるのが歯がゆくなるほど、面白い解 説や裏話が出るときがある。

・「歴史は繰り返す」ならぬ「王のやることは繰り返す」
その日平成20年9月4日、私の目を引いたのは、
早稲田大学講師・中野京子氏が解説者となって 8月下旬から始まった、
「尊大な王と悲しみの王妃十選」と銘打った、肖像画紹介シリーズの第5回目 掲載分。

餌食となったのは、フランス国王フランソワ1世。
まずは、その全文を紹介しよう。

尊大な王と悲しみの王妃十選 ▽5クルーエ「フランソワ1世像」・ ドイツ文学者中野京子 

・(注:原文ではモノクロ上半身写真付き)
(1530年ごろ、96x74センチ、ルーヴル美術館蔵)

巨大な鼻のフランソワ1世は、もうすぐ40歳。
若いころはスペインのカルロス1世と神聖ローマ 皇帝の座を争って戦い、
捕虜にされるなど苦杯を舐めたが、今や国も安定し、贅沢三昧に遊び放題。

おかげで後世、ユゴーによって「王は愉しむ」のモデルにされてしまう(この戯曲がヴェルディの 傑作オペラ「リゴレット」と発展する)。

しかし、王は女遊びばかりしていたわけではなく、
本肖像画に見られるすばらしいファッション・ センス(粋な縦縞!(筆者注:原画をお見せできないのが残念。このへんに注目する著者。中野京子 氏の、女性ならではのセンスが光る。))から明らかなように、芸術の美意識もなかなかのものだっ た。

フォンテーヌブロー宮殿に多くのイタリア人画家を招聘し、
そこを中心にフランス・ルネッサン スの花を咲かせたのだ
(フォンテーヌブロー派の官能的な作品群はここから生まれた)。

何よりフランソワ1世の功績は、晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチを宮廷に迎え、
厚遇したことだ ろう。レオナルドは王の腕の中で死んだ、との伝説さえ残っている。

もちろん事実ではないが、「モナ・ リザ」がイタリアでなく、ルーヴル美術館にあるのは、ひとえにフランソワ1世のおかげと言えよう。

ジョコンダの神秘的微笑みがフランス経済をどれほど潤し続けているかを考えれば、
王の浪費も許さ れる?


・それからちょうど350年後、ドイツはバイエルン王国で、1人の王が即位した。
さて、このフランソワ1世の行状記を読んでいて、そのやったことが、
ちょうど350年後の、ド イツはバイエルン王国で即位した1人の王と
そっくりではないかと頭に浮かんできたなら、
あなたは相当のヴァーグナー狂。

失礼。もう少し品良く言うなら、熱烈なるヴァーグナー愛好者、
いわゆるワ グネリアンであろう。

とにかく、上記解説を少しパロディー化すれば、
このバイエルン国王と、この 王を食いものにして名声を不朽のものとした、
リヒャルト・ヴァーグナーという寄生虫的大作曲家の 物語が出来上がる。

では、さっそく、上記文章をデッドコピーした上で、パロってみよう。



悲しみの狂人王と尊大な寄生虫的作曲家
パロディスト近藤昌紀

土産物として大人気「ルートヴィッヒ2世像」
(南ドイツのバイエルン州、特に日本人好みのロマンティク街道を旅した人ならば、
現地の土産物屋 に一足、足を踏みいれた途端、
この人の肖像(又は、ヴァーグナーの肖像とセットになっている場合 も多い)の入った
土産物に埋め尽くされている店頭に唖然とされた方も多いのではないか。)

洒落た軍服に身を包んだ、すらりとした美男子ルートヴィッヒ2世は、
1864年、19歳で即位。

宝塚歌劇で有名になった「エリーザベト」・オーストリア=ハプスブルク帝国皇后とは
近縁の親類で ある。

即位当事のバイエルン王国は、国も安定し、贅沢三昧も可能で、
幼い頃から傾倒していた大作 曲家、巨大な鼻のリヒャルト・ヴァーグナーを招聘し、
放蕩三昧をさせる。
[注意1]ここまでは、すべてドイツ語なので「ルートヴィッヒ2世」


おかげで後世、
イタリアの、自身も貴族階級出身の映画監督、ルキーノ・ヴィスコンティによって、
主従ともども、名画『ルードヴィッヒ』のモデルにされてしまう。
[注意2]ヴィスコンティはイタリア人なので「ルードヴィッヒ2世」

また、森鴎外も、彼がドイツ留学・ 滞在中に知った、
この王の死にまつわる悲劇を題材に、『うたかたの記』を上梓する。

しかし、王は女遊びには縁がなく、
彼の肖像に見られるすばらしいファッション・センス(その実 はナルシストであった。)は、男性に向けられたものであり、男色家として、より名を馳せた。

このこ とから明らかなように(?)、芸術の美意識もなかなかのものだった。

ドイツオペラを代表する偉大 な作曲家、リヒャルト・ヴァーグナーを招聘したのみならず、彼の舞台芸術を地上に具現したかのよ うなノイシュヴァンシュタイン城、
ヘレンキムゼー城、リンダーホーフ城を築き、
ヴァーグナーの作品を中心に催されるバイロイト音 品の理想的上演の場として、
バイロイト祝祭劇場を建てさせた。

楽祭により、ヴァーグナーの芸術は花を咲かせたのだ
(彼の最後の作品『パルジファル』は、彼の遺 言により、
死後も長い間、この劇場以外での上演が許されなかった)。

この状況は、今も変わらない。
余りの人気に、世界で最もチケットの取りにくい劇場と言われ、
毎 年夏の初日には、欧州各国首脳が集い、観劇外交を展開する場ともなる。

オペラ愛好家であり、かつ、ワグネリアンとして名を馳せている小泉元首相が、
2003年8月の 中欧数カ国訪欧時、
訪問国のひとつ、ドイツのシュレーダー首相に頼み込んで、
バイロイト音楽祭で ヴァーグナーの歌劇『タンホイザー』を鑑賞したことが
マスコミをにぎわしたが、このオペラ鑑賞に ケチを付けた国会議員がいた。

思想的な問題よりも、政府専用機を使って観劇に行くとはケシカラン、 と、
実に形而下学的な発想の発言であったように記憶するが、
このような方々が、国会で教育や 文化を論議していただけるとは・ ・・。
いやはや、いい国である。

日本という国は文化あるいは文化人に対する敬意が、
文化大国(?)を標榜するには少々不足しているのでは?

対極にある例を揚げておこう。

アルゼンチン出身の作曲家、アストル・ピアソラといえば、
サントリーかどこかの宣伝で、
世界的チェリストのヨーヨー・マがその作品を演奏して、
にわかに日本で有名になった作曲家だが、
この人は晩年をパリで過ごしていた。

1990年、ピアソラは、そのパリで脳溢血に倒れる。その情報が世界を駆け巡るや否や、当事の アルゼンチン大統領は、「わが国の英雄を外国で死なすわけにはいけない」と、大統領専用機をパリに 飛ばし、療養中のピアソラを母国に連れて帰る。ピアソラは何とか命脈を保ち、その2年後、ブエノ スアイレスで死去する。

<続く>