自己紹介


はじめまして。近藤紀文と申します。
当ブログにご訪問頂き、ありがとうございます。

このブログでは演奏会(ライブやコンサート)参加の履歴や
日常生活で思ったことについて、様々な視点で書いていきます。

どうぞよろしくお願いいたします。


2021年7月2日金曜日

でもやっぱり、音楽はオーストリア。近藤著「双頭の鷲の旗の下に」ならぬ「ドイツ語という言語の下に」より【2】

掲載年月日:2008年4月
掲載元:香川日墺協会~10周年によせて
題目:「双頭の鷲の旗の下に」ならぬ「ドイツ語という言語の下に」
筆名:近藤昌紀
より

・でもやっぱり、音楽はオーストリア。

そして、さらに喜ぶべし!
ドイツ語以上に、音楽も愛する会員諸氏よ。

べートーベンの第9交響曲第4楽章を彩る、
いわゆる「歓喜の歌」が、
EU統合の象徴の音楽として選定されるのだ。

これは、言わば、「歓喜の歌」が
EUの国歌となったようなものだ。

ただし、メロディーだけが選定されたのであって、
あの「フロイデ,シェーネル ゲッテルフンケン・・・」
というドイツ語の歌詞までが選定されたのではない。

このへん が、多民族、多言語を抱えるEUの
狡猾な知恵というところか。





さて、この「歓喜の歌」の作曲者、
ルートヴィッヒ・ファ ン・べートホーフェン。

その姓名を、真正ドイツ語読みすれば
こうなるべートーベンは、 生まれこそドイツのボンだが、
主たる活躍の場は、 これはもう、完全にウィーンだ。

もちろん、第9交響曲もウィーンで作曲・初演された。
亡くなったのもウィ ーンで、ウィーン中央墓地の楽聖特別区という、
有名音楽家ば かりの葬られた区画にその墓はある。

<続く>

2021年6月26日土曜日

EUはドイツ語天国になった。近藤著「双頭の鷲の旗の下に」ならぬ「ドイツ語という言語の下に」より【1】

小生著の古い記事を紹介いたします。

掲載年月日:2008年4月
掲載元:香川日墺協会~10周年によせて
題目:「双頭の鷲の旗の下に」ならぬ「ドイツ語という言語の下に」
筆名:近藤昌紀
より

・EUはドイツ語天国になった。

オーストリアを愛する紳士・淑女の集う日墺協会の会員諸氏 ならば、
オーストリアの公用語がドイツ語である
ということは常識以前の問題と思われるが、
このドイツ語という言語、最近 おおいに羽振りがいい。

というのも、EU(欧州連合)の拡大・東進に伴って、
様々 な少数民族の言語も仲間入りしている中で、
日常生活で使って いる言語は何語?という視点で見ると、
ドイツ語を生活言語と している人口が最も多い、
というEUの統計が出たのだ。

それはそうだろう。

地図上で言えば、EUのど真ん中に居座 る
ドイツ、オーストリアはもちろん、チューリッヒや
べルンを 中心としたスイス東部(ただし、スイスはEUに加盟していな い。)
リヒテンシュタイン、
意外なところではメラーン(イ タリア呼称ではメラーノ)を
中心としたイタリア北部、

このあ たりは公用語としてドイツ語が使われており、
従って公共の標 識、看板には必ずドイツ語が登場する。

さらに、ドイツ語とは兄弟、又はいとこ関係にある言語を使う 国、
思いつくままに挙げれば
オランダ語、北部ベルギーのフラ マン語、
デンマーク、スウェーデン、ノルウェーの北欧3カ国 語、

このへんの国をウロチョロするなら、
ほとんどヤケクソの ドイツ語をしゃべっても、
結構通用する。 


<続く>



2021年6月12日土曜日

余はいかにしてワグネリアンとなりしか ー運命の女神ノルンのつむぐ綱は未だ切れず、筆者とつながっている一 その7



・黄昏のワグネリアンから、黄昏のワグネリアン仲間へ、言上奉る。

ワグネリアンは物持ちだ。
レコード時代であれば、
1作に数枚のレコードがセットというのは、当 たり前。

「指輪4部作」全曲版のレコード全集など、
十数枚のレコードを相手にして、30分ごとに裏 返す。

そして、対訳とにらめっこ。

おそらく、ヴァーグナーだけで、
何百枚のレコードをお持ちとい うワグネリアンも結構おいでであろう。

LDが世に出て、両面で1時間余の動画・音声を、
全自動で見られて、日本語字幕付きになった。

天国が来たように思われた。

おそらく、この時代、1980年代後半のワグネリアンは、
LDが1タ イトル出るごとに、飛びつくように、買い込んだに違いない。

DVDの時代になって、日本語字幕はもちろん、
ボタンひとつで原語字幕との選択、さらに、日本 語字幕を下面に、
上面には、要所要所のポイントを解説した字幕まで出せるという、
もう、ほとんど 行き着くところまで行ってしまったというような、
芸の細かい全集が出たりして、かっては、
バイロ イトで演ぜられている全10演目を、場所こそ違えど、
すべてナマで見た、という筆者のプライドな ど、微塵に砕かれてしまった。

こんなものが、高松でも手に入るようになり、
旅行が億劫になる年齢 も手伝って、金に糸目をつけず、
ヴァーグナーと名が付けば、
東京へ、外国へと飛んでいった時代が、 なっかしくなりつつある。

しかし、ここで、黄昏のワグネリアン諸氏に申し上げたい。
あなたの集めたコレクションは、
あな た及びワグネリアンにあっては、宝の山であろうが、
さて、ご家族に、これを理解してくれる方が何 人いようか。

このご時勢、ただでさえ核家族化が進み、
奥方と二人暮らしのところ、奥方からは、お 荷物扱いされる、

あなたのヴァーグナー・コレクション。

あなたが亡くなって、運よく、
中古レコー ド市場にでも流してくれるような奇特な人でも居れば、
まだ、救いようがある。

周辺に、その価値を 理解できる人が一人もいなければ、
あなたの宝の山は、一夜にして不燃ゴミの山と化すことであろう。

本稿をお読みのワグネリアン諸氏よ、
今こそー致団結し、
この貴重な人類の遺産の散逸を防ぐ手当 てをしておこうではないか。

例えば、本誌の編者、
香川県では数少ないヴァーグナー研究家・最上英 明氏を事務局に、
おのおのが所持するコレクションを申告し、
もしものときは、学術研究のために遺 贈する手はずを整えておく、
なんぞ、いかがか。

因みに、筆者は、
バイロイトで上演される10演目
(さまよえるオランダ人、
タンホイザー、
ローエングリン、 ニュルンベルクのマイスタージンガー 、
トリスタンとイゾルデ、
ニーベルングの指輪全 4部作
(ラインの黄金、ワルキューレ、ジークフリート、神々の黄昏)
及びパルジファル)
すべての スコア(総譜)を持っている。

レコードや映像を全演目持っているというワグネリアンは、
このご時 勢、結構いると思うが、
スコアとなると、そうはいくまい。

果たして、香川県にいるだろうか?
これ だけのスコアを持っている人が?

実際、筆者は収集に、半端でない時間と金をかけた。
えっ?
なぜ、また、そんな酔狂なものを集めたのかって?

理由は簡単です。

再度言います。

ヴァー グナーの作品は、すごい。深い。

和音が厚い。

他の音楽とは全く違う。

これを実証するには、
レコー ド、CD、LD、DVDと、
メディアは増えたが、やはり原点(又は原典)に返れ、だ。

ヴァーグナ ーの作品のスコアは、とにかく分厚い。

そりゃ、1作3時間などざらなのだから、
当然と言えば当然 だ。

そして、ページをめくれば、和音の厚さ、深さが眼前に広がる。

なんと多数の楽器が多重構造で 演奏していることか。

かって、ドイツ語に不慣れな頃は、対訳を相手に、
今どこを歌っているか、必死で追いかけていた が、原語と日本語対訳が、
ボタンひとつで自由に画面に出せるようになったDVD時代においては、
スコアを追いかけることが、最後にワグネリアンに残された、
マニアックな楽しみとなった。

さて、この、貴重な文化資源、必要とあらば、いつでもお貸しする。

そして、ヴァーグナーの作品 のすごさ、深さ、和音の厚さを、
ご堪能いただきたい。
これも、文化ぺテン師の面目躍如、黄昏のワ グネリアンの生きる道だ。

<終わり>

2021年6月10日木曜日

余はいかにしてワグネリアンとなりしか ー運命の女神ノルンのつむぐ綱は未だ切れず、筆者とつながっている一 その6

・黄昏のワグネリアンから、若きワグネリアンに、言上奉る。
中学時代、それとは知らずに、
初めて『タンホイザー』の大行進曲を聞いて、35年余。

20歳で、 スイス・ルツェルン湖のほとりにあるトリープシェンの家、
そして、バイロイト祝祭劇場、バイロイ トの棲家ヴァーンフリート荘、
その裏手に仲良く眠るヴァーグナーと妻・コジマの墓詣でと、
夢にまで見たヴァーグナー巡礼をして、早30年。

黄昏の近付いたワグネリアンから、少壮のワグネリアン に、
老婆心ながら、忠告を申し上げておく。

1。間違っても、ヴァーグナーを老後の楽しみに、などと考えないこと。

そのために、レコード全集も買った。
レーザーディスク(以下LDと略す。)が出れば、
やっと映像が見られると、金に糸目を付けず買った。

DVDが出れば、それも買った。
DVDともなれば、 コストは信じられないくらい安い。
しかし、無念。体力が持たない。

初期のオペラ群なら救いようもあるが、後期の、
それも歌い手のモーションが極端に少ない
『トリスタンとイゾルデ』や『指輪 4部作』を、
延々と、数時間座って見続けることができるか、君は?

これは、もはや、体力の勝負であって、知力は二の次だ。
老境に入っては無理。

若者よ。若いうちに、大作は見ておけ。

2.ナマモノを見るなら、歴史にこだわらず、
なるべく新しい施設で見ること。


レコード時代を長く経験した、筆者のような黄昏世代にとっては、
ヴァーグナーを見ることは、
すなわち、ナマモノの舞台を見ることであった。

なにせ、映像ソフトがない。

LDが出るようになるまでは、ヴァーグナーを見るためなら、
大阪あたり行くのは、なんでもなかった。

公演回数も少なく、コストも高かったから、
ヴァーグナーの舞台を見たことは、結構、ステイタスになっていて
公演する側としても、金に糸目を付けないワグネリアンは、
結構おいしいターゲットであったのだろう。

映像ソフトがない時分は、それなりに客の入りが良かったのか、
関西以西も、ヴァーグナーをひっさげて、
西欧の歌劇場が引っ越し公演しに来ていた。

私の記憶では、昭和59年に西ドイツのハンブルク州立歌劇場が
『ローエングリン』を出し物に、
大阪フェスティバルホール、そして福岡まで足を伸ばしたことがある。

しかし、その後は、LDによる映像攻勢、
おまけにバブル時代に突入とあって、外国の名門歌劇場が、
わざわざドサ回りまでしなくとも、東京に居座っていれば、
客の方から金に糸目を付けずに飛んで来てくれる時代となり、

外国の歌劇場が関西以西でヴァーグナーを上演したのは、
昭和62年、大阪フェスティバルホールでのバイエルン州立歌劇場の
『ニュルンベルクのマイスタージンガ ー』が最後となった。

その代わり、国内での歌劇の上演施設は目を見張るばかりに増え、
名古屋の愛知県芸術劇場、滋賀の琵琶湖ホール、
そして第2国立劇場と、4面舞台の備わったホールが続々誕生。

いい時代になったものだ。

しかし、ヴァーグナーの、動きが少ない長丁場の出し物
(と言えば、やはり、『トリスタンとイ ゾルデ』や『指輪4部作』に尽きるが)、
これだけは、東京の独壇場だ。

ここで忠告。
あなたが、純粋にヴァーグナーの作品を極めたいなら、
なるべく、最新の設備 の整った、
新しい劇場で催される、それを見ること。

逆の立場から考えよう。

西欧の歴史ある歌劇場に行く。
ロビーのシャンデリアに迎えられ、
ひと たび場内に入れば、ロココ風の金細工。

音楽マニアなら何としても出かけたい観光名所だが、
これ は、冗談でなく、観光名所であって、
中で公演を見るなら、観光に来たと割り切って見ないと、
特 に、ヴァーグナーの作品のような、長時間を要し、
ストーリーのややこしい作品を、
気を入れて見 ようとするなら、えらい目に遭う。

まず、空調。昔の建物など、
そんな事などろくろく考えず、
ひたすら、飾り付けにのみ金をかけ た劇場が多い。

長時間、締め切った状態でヴァーグナーなど上演されようものなら、
酸欠状態とな り、頭は朦朧、汗はたらたらの状態となる。

特に、昔の寒冷気候を前提に建てられた建物が、
地球 温暖化の影響で、最近の夏の欧州では、
40度を超えることなど珍しくなく、
天下のバイロイトで も、音楽祭中、卒倒者が続出という状態とか。

その上、字幕はない。

日本での外国オペラ公演に字幕は当たり前だが、
さすがに、日本語の字幕 を出してくれる外国の歌劇場は未だ無いはずだ。
(ウィーン国立歌劇場では、
前の座席の後ろの部 分に、英・独2カ国語の字幕が出る。)

昔は、そのため、外国でオペラを見るともなれば、
日本で 対訳を買ったりして、万全の態勢を整えて、
現地に飛んだものだったが、
今では、国内での字幕の 慣れで、手ぶらで行ったりすると、
字幕なしのヴァーグナーに挑戦することになる。

さ て、あなたは、耐えられるかな?

さらに、最新の設備を備えた新しい劇場は、
座る椅子も、人間工学的に考えられたものを使って おり、
長時間座っても疲れない。

用心のため、幕間で、多少そこらをうろついて、
運動でもすれば、 何とか体は持つ。

しかし、ギンギラの装飾に彩られた名門歌劇場の椅子の正体は、
人間工学などかけらも考えられ ていない、木の椅子だ。

長時間座っていると、おしりの血の巡りが悪くなり、
壊死寸前になる。

バ イロイトなど、慣れた人は、
空気座布団や空気椅子を持って行くというが、
これは決して誇張では ない。

バイロイトではないにせよ、筆者も木造椅子で長時間座ると、
どのような地獄が待っている か、
ウィーンやプダベストの歌劇場で体験している。

「指輪4部作」を見る最終日など、
肉体的に は拷問だ、という人もいるに違いない。

ということで、外国のオペラ劇場での観劇は、
最高に楽しいことは認めるが、要領よく見ないと、
一転、このような地獄が待ち受けている。

本当に、作品だけを楽しみ、理解しようとするならば、
国内の最新設備の歌劇場で、
人間工学的 に考えられた椅子に座って、
整った空調設備の新鮮な空気で、脳みそに酸素を充満させて、
字幕付 きで、じっくりとご覧になることを、切にお勧めする。

<続く>

2021年6月9日水曜日

余はいかにしてワグネリアンとなりしか ー運命の女神ノルンのつむぐ綱は未だ切れず、筆者とつながっている一 その5

・作曲家ヴァーグナーは混同される。
もうひとつ、ワグネリアンを苛立たせるのは、
ヨーゼフ・フランツ・ヴァーグナーの存在だ。

リヒ ャルト・ヴァーグナーとは縁もゆかりもない、
こちらのヴァーグナーは、タイケの『旧友』と並んで、
ドイツ・オーストリア・マーチの双璧をなす
『双頭の鷲の旗の下に』の作曲者として知られる。

この 曲は、小学校の運動会の行進曲に結構使われるから、
情けないことには、ヴァーグナーと言えば、
このマーチの作曲者とのたまう小学校の先生は多い。

ええ、そりや、確かににこのマーチも名曲ですよ。
必聴の名曲でしょう。ゲルマニア(=ドイツマニア)にとっては。

でも、リヒャリトの方はこんなもんじゃありません。
再度言わせてください。
す ごい。深い。和音が厚い。他の音楽とは全く違う。


・結婚式の余興のカラオケ用にお勧め。ヴァーグナーの「結婚の合唱」
自慢する訳ではないのだが筆者は、
リヒャルト・ヴァーグナーの「結婚の合唱」を
原語のドイツ 語で暗記している。

頭の固くなってきた最近の筆者なら、
かなり暗記に苦労するかもしれないが、
幸 いにも、若いときに、好きこそ物の上手なれで、
その気になって対訳を片手にレコードをかけて覚え た。

これが、後々におおいに役に立った。

例えば、結婚式の余興が盛り上がり、
突然のカラオケのご指名をいただく。
それではと、おもむろ にMCのお姉さんに、その曲名を言う。
思わず、キョトンとするお姉さん。

そこで、例のロ三味線で
「パーンパーカバーン、パーンパーカバーン」
とやるとすぐ納得する。
どこの式場でも、この曲のCDは必ず置いてあるし、
エレクトーンの生演奏をするようなケースでも、
必ず、この曲の楽譜は持っ ている。

ということで、MCのお姉さんが
「近藤様がお歌いいただくのは、リヒャルト・ヴァーグナー作曲、 歌
劇『ローエングリン』第3幕第1場より「結婚の合唱」」
などと言い出そうものなら、このめでた の席で、
「また、めんどげなことを」
と言わんばかりの視線がこちらを向く。

そこで、例の序奏が鳴 り始める。

ほとんどの人は、この序奏から知っているから、
うざったそうだった目が、
この男、いっ たい何を始めるつもりや、と、
好奇の目に変わる。

そこでおもむろに歌い出す。
「Treulich gefuhrt zieht dahin,
(トロイリッヒ ゲフュールト チーエット ダヒン)・・・」
この曲は知っていても、歌詞付きであったと知る人は、まずいない。
これで、サプライズ。

歌詞はド イツ語で、少々間違ってもケムリに巻ける。
歌詞はそんなに長くない。

終われば、それなりの敬意を 持った拍手。

日独協会の会員諸氏なら、多少たりとも、
ドイツ語に造詣はあろうと思うから、
今から覚えるなら、 これに尽きる。

便利であり、一押しである。

・ヴァーグナーの歌劇『タンホイザー』でもあるまいし、結婚式場で歌合戦とは!
小泉元首相が大好きなことで有名になった、ヴァーグナーの歌劇『タンホイザー』。

その第2幕第4場での騎士たちの歌合戦、
いわゆる「ヴァルトブルクの歌合戦」の場は、
この歌劇の中でも見せ場 のひとつとなっているが
このシーンが何と結婚式の場で起こった。

その日、私は新郎側の招待者の一人として座っていたのだが、
披露宴の余興で、小癪にも、新婦側 の職場の上司が、
べートーベンの第9交響曲の第4楽章を飾る、
いわゆる「歓喜の歌」をドイツ語で 歌ったのだ。

筆者はこの曲もそらんじていたので、どうとも思わなかったが、
それまで、ド演歌と長 渕剛でつないできた新郎側は、さすがに萎縮する。
筆者も若かった。負けてはいられない。

起死回生の一撃を担い、この日はたまたま、
エレクトーン の生演奏付きであったので、
ヴァーグナーの「結婚の合唱」の楽譜は有るかと奏者に聞くと、
有ると いう。

上記と同じ手順で勝負に出た。

この日は相手方が「めんどげなことを」先にやっていてくれたので、
うざったい目では さすがに 見られない。

堂々たるドイツ語曲の勝負になった。
結果としては、その場は引き分け。

後で聞いたら、 新婦側のその上司とやらが、
職場で、 「あの、ドイツ語の歌を歌った男は一体、
どんな人間で、何をやっている人物なんだ?」 と、
筆者の氏素性を聞いたというから、
このような場では、歌は人を表すということになるのだろう。

<続く>

2021年6月6日日曜日

余はいかにしてワグネリアンとなりしか ー運命の女神ノルンのつむぐ綱は未だ切れず、筆者とつながっている一 その4

・さて、前置きが長くなったが、
本稿の標題、「余はいかにしてワグネリアンとなりしか」 に戻ろう。


だいたい、この標題自体が「文化ペテン師」の面目躍如だ。

内村鑑三の名著「余は如何にして基督 教徒となりし乎」を
もったいなくもパロディー化させていただいた。

しかし、これがあながち出鱈目 なパロディーでないことは、
自信を持って言える。

ヴァーグナーの作品には、
『タンホイザー』や「パ ルジファル』など、キリスト教、
それもカトリックの思想や伝説に根ざした歌劇・楽劇があるが、
こ れらの作品を聴いているならば、
序曲の
段階で、もうすでに法悦の境地に入ってしまう魔力がある。

中世キリスト教の聖人アウグスティスス(354~430)は、
著書『告白』の中でこう述べる。

「(前略)きよらかな声とよく整った調子でうたわれるのを聞くと、
歌そのものよりもむしろうたわ れている内容に感動させられていることを考え、
この(中略)大きな効用をあらためて認識するので す。

このようにして私は、それがひきこむ快楽への危険と、
にもかかわらずそれが有している救済的効 果の経験との間を動揺しています。

(中略)
それにしても、うたわれている内容よりも歌そのものによって
心動かされるようなことがあるとし たら、
私は罰をうけるに値する罪を犯しているのだと告白します。」
(山田品訳『世界の名著』14、 中央公論社)

まことにストイックなご発言だが、このお言葉どおりに考えるなら、
約1500年後のドイツに 出現するヴァーグナーの歌劇・楽劇を予言した、
としか言いようのない名言である。

ワグネリアンの 大半は
「うたわれている内容よりも歌そのものによって心動かされ」、
結果、それを聞く者は「罰を うけるに値する罪を犯している」。

そして、そのようなバチ当たりな世界へ
引きずり込むような名曲 を世に送り出したヴァーグナーは、
魔界の帝王若しくは悪魔の申し子としか言いようがない。

神よ。 このような魔人、若しくはヴェーヌス
(=ヴィーナス:詳細はヴァーグナーの
歌劇『タンホイザー』 の第1幕冒頭部をご覧あれ。)
のとりことなった、哀れなワグネリアンたちを許したまえ。
(念のため に言っておくが、我が家は先祖代々、真言宗大覚寺派の門徒である。)


・筆者のヴァーグナー受容
筆者が、作曲者は知らないままに
初めてヴァーグナーの作品を耳にしたのは、中学生のときであっ た。

当事の音楽の先生が、
給食の準備開始の合図の音楽として、
歌劇『タンホイザー』」第2幕第4場の、
歌合戦の場での入場行進曲を放送したのだ。

幼児体験は一生身に付きまとうと言うが、
筆者の 場合、ヴァーグナー受容がまさにそれだった。

『タンホイザー』云々など知らぬままに、
「えらい、か っこええ行進曲やな」と心にしまい込んでおいたのだが、
あるとき、偶然聰いたNHKラジオ第一の 音楽放送で、
この曲がヴァーグナーのそれであることを知る。

第2の出会いはそれから間もなくのことであった。
当事、家庭に爆発的に普及し始めた小型カセッ トレコ一ダー。

今から考えると、テープ、録音機材ともに性能は悪く、
静かな音などを録音すると、 音を少しでも大きくしようものなら
「ザーザー」という雨が降るような音、
いわゆる「テープヒスノ イズ」に泣加された、あの1970年前後の代物だ。

今のオーディオ機器では考えもつかない劣悪さ。
それでも、オープンリールテープのバカでかい図体と、
テープの取り扱いの面倒さに比べれば、雲泥 の差があった。

幼い子供でも、
好みの音を自由に録音できる有難さを初めて知ったのが、
筆者の世代 であろう。

<続く>


2021年6月4日金曜日

余はいかにしてワグネリアンとなりしか ー運命の女神ノルンのつむぐ綱は未だ切れず、筆者とつながっている一 その3

 ・運命の女神ノルンのつむぐ綱が筆者に絡まってきた
(詳細は、リヒャルト・ヴァーグナー作曲、
楽劇『ニーベルン グの指輸』全4部作第3夜『神々の黄昏』冐頭部参照)

実は、本稿を著するに際し、
まさに、不思な運命が筆者を導いた、
としか言いようのない事件が 重なった。


その1
前記、平成20年9月4日付け日経新闘の、
中野京子氏のフランンワ1世の行状に係る文を読ん だ際、
一方で、フランンワ1世とダ・ヴィンチ、
一方で、ルートヴィッヒ2世とヴァーグナーという、
王侯と芸術家の関わりにおいての「共通性」が、
筆者の「文化ペテン師」的インスピレーションをい たく刺激し
わざわざ、スクラップしておいたこと。

その2
くだんの、フランソワ1世の行状を滅茶苦茶に茶化した
「ヴェルディの傑作オペラ「リゴレット」」 が、
オーストリアはバーデンの市立歌劇場の引越し公演により、
高松市の県民ホール
(以下、命名権 取得により付けられた某企業名は、
名称がやたら長くなるので、あえて記さない。)
大ホールで上演 された9月12日夜の、
まさにその会場で、
筆者は、日独協会役員の最上英明氏とばったり出会い、
「今年は、ヴァーグナー没後125周年に当たるので、
ヴァーグナーに関する文章がどうしても欲し と、思いもよらぬ依穎をいただいた。

その3
9月4日のスクラップから、わずか1週間の後、
『リゴレット』の公演会場で、原稿依頼を受ける。

その瞬間、筆者の頭の中には、上記『神々の黄昏』旨頭部で、
3人の運命の女神ノルンが、切れた運 命の綱を手に歌う、
「Es riss!(切れた!) 」
という声が響き渡った。

そうなのだ。この、偶然の連続性を断ち切ってはいけない。
「文化ぺテン師」とは言え、
ヴァーグ ナー芸術の伝道師を自認する筆者の血が騒ぎ、
使命感が体を貫いた。 ということで、重い腰どころか、
腹回り1メートルを超えてしまったメタボリック体を
パソコンの 前にやっとの思いで座らせ、本稿を書いている次第である。

<続く>

2021年6月2日水曜日

余はいかにしてワグネリアンとなりしか ー運命の女神ノルンのつむぐ綱は未だ切れず、筆者とつながっている一 その2

実は、この件の先例となったのもヴァーグナーだ。

ヴァーグナーは旅先のベネチアで亡くなったが、
その亡がらがイタリアでなく、バイロイトに葬られているのは、
国葬扱いの特別列車でバイロイトに 送られたからである。

いずれにせよ、ルートヴィッヒ2世の功績は、
晩年のリヒャルト・ヴァーグナーを宮廷に迎え、厚 遇したことだろう。

その恩恵は、単に芸術的な面に止まらない。

時代は下って、第2次大戦後の東西 冷戦時代。
バイロイト祝察劇場が、位置的には、旧西ドイツの、
旧東ドイツ国境に近い場所にあった おかげで、
旧東側も考えたことであろう。

「鉄のカーテン」を破って西に侵攻し、 ここを占領したりすれば、
旧西側陣営からどのような反撃を食らうか分からない。

それゆえ、少なくとも欧州では、東西 間の熱い戦争は起こらなかった、
と、筆者は本気で考えている。

そして、ル一トヴィッヒ2世の建てたノイシュヴァンシュタイン城や
バイロイト祝祭劇場がドイツ 経済をどれはど潤し続けているかを考えれば、
王の浪費も許される?

さて、フランソワ1世の末期は、平穏であったのだろうか。

少なくともルートヴィッヒ2世の末路 は、平穏ではなかった。
内憂外患で心神がボロボロになった政治には不向きの夢想家王は、
40歳 の若さで精神科の主治医を道連れに、謎の水死をとげた。(合掌)

<続く>


2021年5月30日日曜日

余はいかにしてワグネリアンとなりしか ー運命の女神ノルンのつむぐ綱は未だ切れず、筆者とつながっている一 その1

小生著の古い記事を紹介いたします。

掲載年月日:2008年11月
掲載元:香川日独協会会報第14号
題目:余はいかにしてワグネリアンとなりしか
ー運命の女神ノルンのつむぐ綱は未だ切れず、筆者とつながっている一

筆名:近藤昌紀


・日経新聞は裏から読む
日経新聞の裏面は文化欄となっているが、
その内容たるや、経済紙と呼ぶにはもったいないほど、
質の高い文化情報が満載されている。

その上、毎日曜日に、見開き2面をさいて、数回シリーズでテ ーマを決めて、
世界の名画を総力ラーで紹介する「美の美」欄もあり、
筆者のようなエセ文化人気取 り(にも至らない、どう見ても「文化ペテン師」)にとっては、恰好の情報源となっている。

さて、この日経文化欄の右肩てっぺんに、連続もののコラムがある。

各界の文化人が、好みの、又 は、得意のテーマをもとに、
絵画を主とした、視覚で感知できる芸術作品を、
作品の写真付きの10 回シリーズで紹介・解説するというもので、
写真がモノクロであるのが歯がゆくなるほど、面白い解 説や裏話が出るときがある。

・「歴史は繰り返す」ならぬ「王のやることは繰り返す」
その日平成20年9月4日、私の目を引いたのは、
早稲田大学講師・中野京子氏が解説者となって 8月下旬から始まった、
「尊大な王と悲しみの王妃十選」と銘打った、肖像画紹介シリーズの第5回目 掲載分。

餌食となったのは、フランス国王フランソワ1世。
まずは、その全文を紹介しよう。

尊大な王と悲しみの王妃十選 ▽5クルーエ「フランソワ1世像」・ ドイツ文学者中野京子 

・(注:原文ではモノクロ上半身写真付き)
(1530年ごろ、96x74センチ、ルーヴル美術館蔵)

巨大な鼻のフランソワ1世は、もうすぐ40歳。
若いころはスペインのカルロス1世と神聖ローマ 皇帝の座を争って戦い、
捕虜にされるなど苦杯を舐めたが、今や国も安定し、贅沢三昧に遊び放題。

おかげで後世、ユゴーによって「王は愉しむ」のモデルにされてしまう(この戯曲がヴェルディの 傑作オペラ「リゴレット」と発展する)。

しかし、王は女遊びばかりしていたわけではなく、
本肖像画に見られるすばらしいファッション・ センス(粋な縦縞!(筆者注:原画をお見せできないのが残念。このへんに注目する著者。中野京子 氏の、女性ならではのセンスが光る。))から明らかなように、芸術の美意識もなかなかのものだっ た。

フォンテーヌブロー宮殿に多くのイタリア人画家を招聘し、
そこを中心にフランス・ルネッサン スの花を咲かせたのだ
(フォンテーヌブロー派の官能的な作品群はここから生まれた)。

何よりフランソワ1世の功績は、晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチを宮廷に迎え、
厚遇したことだ ろう。レオナルドは王の腕の中で死んだ、との伝説さえ残っている。

もちろん事実ではないが、「モナ・ リザ」がイタリアでなく、ルーヴル美術館にあるのは、ひとえにフランソワ1世のおかげと言えよう。

ジョコンダの神秘的微笑みがフランス経済をどれほど潤し続けているかを考えれば、
王の浪費も許さ れる?


・それからちょうど350年後、ドイツはバイエルン王国で、1人の王が即位した。
さて、このフランソワ1世の行状記を読んでいて、そのやったことが、
ちょうど350年後の、ド イツはバイエルン王国で即位した1人の王と
そっくりではないかと頭に浮かんできたなら、
あなたは相当のヴァーグナー狂。

失礼。もう少し品良く言うなら、熱烈なるヴァーグナー愛好者、
いわゆるワ グネリアンであろう。

とにかく、上記解説を少しパロディー化すれば、
このバイエルン国王と、この 王を食いものにして名声を不朽のものとした、
リヒャルト・ヴァーグナーという寄生虫的大作曲家の 物語が出来上がる。

では、さっそく、上記文章をデッドコピーした上で、パロってみよう。



悲しみの狂人王と尊大な寄生虫的作曲家
パロディスト近藤昌紀

土産物として大人気「ルートヴィッヒ2世像」
(南ドイツのバイエルン州、特に日本人好みのロマンティク街道を旅した人ならば、
現地の土産物屋 に一足、足を踏みいれた途端、
この人の肖像(又は、ヴァーグナーの肖像とセットになっている場合 も多い)の入った
土産物に埋め尽くされている店頭に唖然とされた方も多いのではないか。)

洒落た軍服に身を包んだ、すらりとした美男子ルートヴィッヒ2世は、
1864年、19歳で即位。

宝塚歌劇で有名になった「エリーザベト」・オーストリア=ハプスブルク帝国皇后とは
近縁の親類で ある。

即位当事のバイエルン王国は、国も安定し、贅沢三昧も可能で、
幼い頃から傾倒していた大作 曲家、巨大な鼻のリヒャルト・ヴァーグナーを招聘し、
放蕩三昧をさせる。
[注意1]ここまでは、すべてドイツ語なので「ルートヴィッヒ2世」


おかげで後世、
イタリアの、自身も貴族階級出身の映画監督、ルキーノ・ヴィスコンティによって、
主従ともども、名画『ルードヴィッヒ』のモデルにされてしまう。
[注意2]ヴィスコンティはイタリア人なので「ルードヴィッヒ2世」

また、森鴎外も、彼がドイツ留学・ 滞在中に知った、
この王の死にまつわる悲劇を題材に、『うたかたの記』を上梓する。

しかし、王は女遊びには縁がなく、
彼の肖像に見られるすばらしいファッション・センス(その実 はナルシストであった。)は、男性に向けられたものであり、男色家として、より名を馳せた。

このこ とから明らかなように(?)、芸術の美意識もなかなかのものだった。

ドイツオペラを代表する偉大 な作曲家、リヒャルト・ヴァーグナーを招聘したのみならず、彼の舞台芸術を地上に具現したかのよ うなノイシュヴァンシュタイン城、
ヘレンキムゼー城、リンダーホーフ城を築き、
ヴァーグナーの作品を中心に催されるバイロイト音 品の理想的上演の場として、
バイロイト祝祭劇場を建てさせた。

楽祭により、ヴァーグナーの芸術は花を咲かせたのだ
(彼の最後の作品『パルジファル』は、彼の遺 言により、
死後も長い間、この劇場以外での上演が許されなかった)。

この状況は、今も変わらない。
余りの人気に、世界で最もチケットの取りにくい劇場と言われ、
毎 年夏の初日には、欧州各国首脳が集い、観劇外交を展開する場ともなる。

オペラ愛好家であり、かつ、ワグネリアンとして名を馳せている小泉元首相が、
2003年8月の 中欧数カ国訪欧時、
訪問国のひとつ、ドイツのシュレーダー首相に頼み込んで、
バイロイト音楽祭で ヴァーグナーの歌劇『タンホイザー』を鑑賞したことが
マスコミをにぎわしたが、このオペラ鑑賞に ケチを付けた国会議員がいた。

思想的な問題よりも、政府専用機を使って観劇に行くとはケシカラン、 と、
実に形而下学的な発想の発言であったように記憶するが、
このような方々が、国会で教育や 文化を論議していただけるとは・ ・・。
いやはや、いい国である。

日本という国は文化あるいは文化人に対する敬意が、
文化大国(?)を標榜するには少々不足しているのでは?

対極にある例を揚げておこう。

アルゼンチン出身の作曲家、アストル・ピアソラといえば、
サントリーかどこかの宣伝で、
世界的チェリストのヨーヨー・マがその作品を演奏して、
にわかに日本で有名になった作曲家だが、
この人は晩年をパリで過ごしていた。

1990年、ピアソラは、そのパリで脳溢血に倒れる。その情報が世界を駆け巡るや否や、当事の アルゼンチン大統領は、「わが国の英雄を外国で死なすわけにはいけない」と、大統領専用機をパリに 飛ばし、療養中のピアソラを母国に連れて帰る。ピアソラは何とか命脈を保ち、その2年後、ブエノ スアイレスで死去する。

<続く>