自己紹介


はじめまして。近藤紀文と申します。
当ブログにご訪問頂き、ありがとうございます。

このブログでは演奏会(ライブやコンサート)参加の履歴や
日常生活で思ったことについて、様々な視点で書いていきます。

どうぞよろしくお願いいたします。


2022年12月24日土曜日

前回の記事の後半と類似の考察が、週刊朝日12月30日号に書かれておりました。

奇しくも前回の記事
「歴史と地理は紛争解決策の宝庫であり、そこから学ぶべきことは多いです。」の後半と
類似の考察が、週刊朝日12月30日号の

ロシア政府アドバイザー「アンドレイ・フョードロフ元ロシア外務次官」への
インタビューとして載っていたのに気を強くしました。

こちらは単純に、【ロシアは自国の安全が欲しい。
ウクライナがNATOに加盟しないことが停戦合意の条件となる】
と言っていますが・・・。

 

2022年12月22日木曜日

歴史と地理は紛争解決策の宝庫であり、そこから学ぶべきことは多いです。

拝復 香川日独協会御中

近藤です。
『さて、香川日独協会では今年のクリスマス行事として
ドイツ映画「バルーン 奇蹟の脱出」の上映会とクリスマスパーティを
下記の通り(12月18日)開催することになりました。
上映される映画は1979年東ドイツから手づくりの熱気球で
西ドイツに亡命した家族の実話を映画化したものです。』

参加します云々。       
(中略)

追伸
そこらの生半可なドイツ通に負けんぞ、と思うのは、
上記映画の元ネタ、現実に東西ドイツが存在した時期の
1982年初作「気球の8人」を、私は日本公開当初、見ていたからです。

亡命が成功したからこそ映画になったんじゃないか、ということで
最初からネタバレ映画の最たるものですが、
この初作映画の最後の最後、不時着した気球を逃れて
近くの農家の納屋らしきボロ家に潜んでいた脱出メンバーの1人が、
真夜中、見回りの警察官だか国境警備隊員だかに発見されたときに
発した一言、
(懇願するように)「ひとつだけ教えてくれ。ここは西か東か?!

は、いまだに忘れられません。


実は私は、この4年前に事件の起きた1年前の1978年夏、
東西ドイツの国境に程近い西ドイツはバイエルン州、
ニュルンベルクから列車で東に50分ほどの、
夏のヴァーグナー音楽祭で世界的に超有名な、
(ワグネリアンの聖地)バイロイトに足を踏み入れていたからです。

このバイロイトの東側は深い森で
この森を歩いて行けば、さしたる時間もかからずに、
当時の私の認識では魑魅魍魎の住む世界、東側世界に到達するんだ
(もっとも当時から、国境地帯は地雷原だとは知っていました。
2020年の韓国ドラマ「愛の不時着」と同じシチュエーションですが、
こちらはハンググライダーの突風被害による地雷原越え。
似ているようで、原因は違います。)と、感慨を深くしたものです

というより、東西冷戦の最前線の、その陸続きの西側に立っているという実感は
紛争地域から遠く離れ、かつ、周りを海に囲まれ、
”戦車が国境を破って侵攻して来る”
などという思考の成り立たない
本に住んでいることの、真の有難みを感じるには十分でした。
 



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今また、ロシアを中心とした旧ソ連諸国が再び「鉄のカーテン」を引こうとしており、
このような映画を観ることは、誠に時宜を得たものであると共に、
東西鉄のカーテンを頭に描くとき、
いつも頭に浮かぶのは、かつての東側世界に突入していたオーストリアの形状。
今のロシア同盟諸国の胴体に突き刺さるように存在するウクライナの形状とそっくりです。

非常に品の悪い言い方ではあるのですが、
体内にウクライナというEU、NATO思考に侵された男根が突き刺さり、
その男根からロシア躯体に
有害な梅毒やエイズなどの病原菌が撒き散らされている・・・
(私は親ロ派ではないが、)ロシアに、
これを我慢しろ、とは私は言えない。

ウクライナにも、害毒をロシア躯体に撒き散らさない、
もっといいやり方があったのではないか?

東西冷戦時代に、実質的には西側社会にいながら、
東側社会に東南北を囲まれて身動きの取れない中で、「中立」を宣言し、
存立と独立を維持し続け、紛争地域になることを避けた
オーストリアというすばらしい先例があるにもかかわらず、
我を通し続けるウクライナ

ドイツ語圏と言いながら、
ハプスブルク家の多民族国家統治の伝統を引き継いだ、
外交上手のオーストリアと、
ロシア語圏(ウクライナ語の語彙の半分はロシア語と同じ)と言いながら、
ロシアと共存する手段を端から捨て、
実質は田舎の農村国家的思考で、余りに外交に稚拙さが目立つウクライナ。

歴史と地理は紛争解決策の宝庫であり、そこから学ぶべきことは多いです。