自己紹介


はじめまして。近藤紀文と申します。
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このブログでは演奏会(ライブやコンサート)参加の履歴や
日常生活で思ったことについて、様々な視点で書いていきます。

どうぞよろしくお願いいたします。


2019年8月21日水曜日

恨五百年(ハノベニョン)

「恨五百年」は韓国の民謡で、
歌詞は、去っていった恋人を恨む恋歌的様相を帯びた歌詞だが、
さて、ここでこの題の「恨五百年」の意味を地勢学的に分析することから始めよう

「恨五百年」はハングル訳で切り読みすると
恨(ハン)五(オ)百(ペク)年(ニョン)。

これをハングル特有の連音化
(悪名高きフランス語のリエゾンと同じで、元の単語が全く分からなくなる。)により、
恨で切ってハン オべニョンと読んだり、
まるまる連音化してハノベニョンと読んだりするが、
意味は読んで字のごとく「恨み五百年」だ。

問題はこの「五百年」。
何で500年なのか。

(約500年続いた)李氏朝鮮に滅ぼされた高麗臣民の恨み節とか、
もっと深読みして眼光紙背に徹するなら、
悪く言えば、何でも日本への恨みにしたがる朝鮮半島の性癖を斟酌すれば、
1592年文禄の役、1596年慶長の役による豊臣秀吉への恨み、
ひいては日本人への恨みは500年続くと裏読みする人もいる。

「韓国」をハングル読みするとハングクだが、
韓国人はハンを読み替えて「恨国」と言ってはばからない
韓国人民の国民性の行き着くところは、
恨み根性の国なのだ。

無理もないとは思う。

朝鮮半島の歴史は、北というか、
上からは中国漢族・満州族の重さに押しつぶされ、
南すなわち下からは、
すきあらば大陸に足場を作りたい日本が刃を突き上げて来る。

任那の日本府から始まって和寇、
秀吉の朝鮮出兵、そして近代日本の韓国併合。
恨み心を抱かない方がおかしいとすら言える。


朝鮮半島は上下の圧力に潰され続けたことの歴史だが、
それでは左右の圧力に潰されてても潰されても
しぶとく生き残った東欧はどうだろう。

すき有らば左の頬はドイツ・オーストリアに張り飛ばされ、
反す勢いで右頬はロシアや旧ソ連に張り飛ばされたポーランドの歴史など、
目も当てられない。

それでも、陸続きであるがゆえに、
ときの権力者の圧力に迎合していないと、民族の存続すら危うい。

「恨み」はあれども、それを表に出しては生きて行けない。
ときの権力者との融和によって
かろうじて民族として生き延びた国家は東欧に多数存在する。


それに比べると、韓国の恨みの表出の仕方は執拗だ。

 (もっとも、東欧になると、ウクライナやバルカン諸国のように、
「恨み」を飛び越えて、いきなり紛争・戦争に突入した、
ある意味短絡的な国家も有るから、それよりはマシかもしれないが、)

日本を含む世界のあちこちに慰安婦像を置き、
訴訟を起こして日本の古傷を掘り起こし、
賠償金をせしめようとする。

この問題については
改めて国際法・国内法的観点から論理的に考察する場を設けるとして、

ここでその精神の分析のために登場ねがうのは、
中国と韓国に共通する挨拶、
「ご飯食べましたか?」だ。

中国で「チーファンラマ?」、
韓国で「パンモゴッソヨ?」がそれだ。

ファン及びパンは漢字で書くと「飯」、
「食べ」に相当するのが「(中)チー」「(韓)モゴ」、
「ました」は「(中)ラ」「(韓)ッソ」、
 「~か?」は「(中)マ?」「(韓)ヨ?」となる。
 
韓国など、親しい人への挨拶の場合はもっと執拗で、
「そうか。食べたか。で、何食った?」
「そうか、それは良かったな!」まで挨拶として言うらしいから、
「武士は食わねど高楊枝」的精神の残る日本ではまず考えられない。

あり得るシチュエーションとしては、
たまたま昼食時に知り合いに出会ったときに、
「もうメシ食ったのか?」
「まだか。それじゃあ、どこかで一緒にどうだい?」的には使うかもしれないが、
 時と場所を選ばず
「ご飯食べましたか?」など、到底考えられない。



余談ではあるが、これは時と場合によっては、
文化摩擦をおこすことがある。

筆者が初めて海外に出た1978年8月のパリ。

腹をへらせて行列のできる下町のレストランに並んでいたとき、
店内にいた、
(今考えれば、目じりのつり上がったあれは
典型的漢民族の華僑ではなかったかと思うのだが、)

恰幅のいいスーツを着た
食事中のはげたオヤジが、
たどたどしい日本語で「ゴハン、タベマシタカ」と私に向かって叫んだのだ。


これは、「チーファンラマ?」を単純に日本語に約したもので、
本人は軽い挨拶のつもりで言ったのであろうが、
当時の私には知る由もない。

こちらとしたら、

「食べてないからこうして腹を空かせて並んでいるんじゃねえかよ。
バカにしやがって!」
と内心沸々と不快感が涌いてきた。


適当に笑顔で答えはしたが、この状況での「ゴハン、タベマシタカ」が
まともな挨拶と分かったのは1989年、
北京に語学留学に行っていたかつての仕事仲間が、
あちらでは、ほんの挨拶として
「チーファンラマ?」を使うと教えてくれたときで、
実に10年が過ぎていた。


中国や朝鮮半島の歴史をひも解くと、
戦乱に次ぐ戦乱や天候不順による飢饉が頻発し、
人民が食うや食わずの難民状態になったことが頻繁にあったらしい。

韓国など、農地を奪われて山に入り、
焼畑農業でかろうじて生き延びた
「火田民(かでんみん)」もいたというから、
まさに食うや食わずは当り前。

ご飯を食べられたら万々歳で、
「ご飯食べましたか?」というより
「ご飯何とか食べられてますか?」
 と言う方が正しいのでは、と思うくらいだ。


こんな状態だから、
毎日が「恨み」の日々であったことは想像に難くない。

さらに、人がいい目をしていると、
ねたみの心もわいてくる。

実際、韓国の「恨(ハン)」には
妬みの意味も込められているということは定説だ


韓国や中国の製品には手抜き製品が多いことは、
最近では子どもでも知っている。

かつて韓国で高度成長が始まった時期、
インフラ整備を進めたのはいいが、
手抜き工事が横行し、
その果ては、河川にかかる巨大な橋が崩れ落ちて、
多数の犠牲者が出るという惨事も起きた。


ところが、日本が統治時代に(韓国人を徴用したかどうかは別として、)
建設したインフラは一向に壊れない。

日本なら、こんな事態ともなれば発奮し、
負けず劣らずいいものを作ると意気込むであろうが、
韓国では当時、自分たちのやったことは棚に上げて、
日本人の作った、
いつまでも壊れないインフラがねたみの元になったというから、
もはや救いようが無い。

その挙句、戦後も壊れずに
韓国政府に使われていた日本統治時代の朝鮮総督府の建物が、
ねたみの槍玉の象徴にされ、爆破・撤去されたのだから、
ベクトルの向きがおかしいとしか言いようがない。
 
このおかしなベクトルが、
慰安婦像問題や関税問題を巻き込み、
韓国の外交や経済を狂わせようとしている。






2019年6月9日日曜日

4月以降、信じられないことが起こり続けている私自身の体のこと についてお伝えしておきます。  

足の方は、3月20日左太ももの皮膚を全身麻酔で左足踵患部に移植。

3月25日にはギプスをはずし、
メッシュ状に移植した皮膚の癒着を確認。

3月末には退院と相成ったのですが、
4月中旬には再発が確認され、移植した皮膚はどこへやら行ってしまい、
以前と同じ状態に。

5月10日の連休明けには、ついに主治医が

「やることは全てやった。
今の医学では手の打ちようがない状況だ。」

と、ギブアップ宣言。


医大病院(の地域連携受付)や
博士号を持った医師が2人いるという市内の皮膚科に
セカンドオピニオンを求めたのですが、
両方とも、日赤でそこまでやっているなら答えは同じ、という状況でした。  


こちらもこれは覚悟していたことで
「それでは、鎮痛剤の経口投与のみにして、
抗生物質は絶ってしまい、自己免疫のみでどうなるか試してみたい」
と主治医に言うと、

主治医も同意し、以後は鎮痛剤と、
漢方薬局に相談して飲用を勧められた
「白花蛇舌草」という漢方薬でしのいでいます。  





6月4日には済生会病院で恒例の人間ドックに入ったのですが、
強烈なショックを受けたのが次の2点。


 1.左目の白内障がどうしようもなく悪化し、
視力検査器具では左は真っ白にしか見えませんでした。

想定内とは言え、かなりショックでした。

健診医の女医に、
「白内障手術を優先すべきでは。
足の再感染を恐れて手術を先延ばしにしていたら、
ますます白内障が悪化するのでは?」
と問うと、

所詮は内科医。
「主治医に相談してくれ」で終わり。

ただ、
「菌が全身に回らなくて本当に良かったですねえ」
と看護師と二人して
「良かった、良かった。」
を連発するのには往生しました。



2.昨年までコレステロール、GPT、GOT、血糖等
血液検査の数値が年々悪化し、
昨年は数値欄が警告だらけの真っ赤だったのが、
今年は全部数値が下がり、ほとんど安全圏の状態に。

これも、「良かった、良かった」を通り越して
「すごい!」とまで言われたのには閉口しました。

足の痛みと
白内障のことを考えたら、
何が「すごい」どころか全て相殺して余りある悲惨さです。  

踵の痛さの関係で、
夜遊び、飲食店のハシゴ、遠出等は控え、
極力早く家に帰って休むことが多かったので、
運動不足で数値が増々悪化することを危惧していたのですが、
全くの逆になったことに唖然。

確かに、過食する機会は減ったし、
歩くこと自体に通常以上の負荷がかかっているし、
体が細菌と日々戦うのにそれなりのエネルギーを消費しているのでは、
と思わされるときもあります。





とにかく、左目と左踵の二重苦にさいなまれつつも、
芸術情報研究所サイトの今年の抱負に描いた目標を達成するため、
動いています。

2019年2月1日金曜日

年頭の挨拶に代えて ~オーディオの歴史をひもといた中での平面再生の立ち位置

年頭の挨拶というには遅すぎの感がありますが、
新年に入って現在までの芸術情報研究所の
特にオーディオに関する研究成果と今後の方向性について
堀尾研究員の奨揚もあり、オーディオの歴史をひも解きつつ、
じっくりと考察してみました。  


世間に出るや否や、捉えられることもなくその場で消えていく「音」
というバケモノを初めて再生可能にした、

要するに人間が手に持てるモノの形に変えたのが、
1877年にエジソンが発明したフォノグラムです。

もちろんモノラル録音でしたが、次に人間が欲を出したのは
現実の世界で起こる音の左右の広がりを再現すること。

すなわち、ステレオフォニックへの欲求です。  


















フランスでオペラの舞台上の音を左右2方向からマイクで拾い
それを離れた場所まで2本の独立した回線で送り
左で拾った音は左の耳に、右で拾った音は右の耳に、
という具合に電話でステレオ実況ナマ中継をしたのが1881年。

この流れを汲んでFM放送が開始されるよりずっと前、
NHKのAMラジオでは第1総合放送で左、第2教育放送で右を流し、
2台のラジオでステレオ感を味わう放送をしていたといいます。

さすがに筆者はこの時代は知りませんが、
これを録音するというレベルに達したのは意外に早く、1930年代。

その録音方法というのが
レコードの溝の左右に左右の音を別々にカッティングするという、
まさに現在も使われている手法です。

実はこの左右2チャンネル音の再生というオーディオの王道の途中、
1970年代に4チャンネルというあだ花が咲いたことがありました。

要するに視聴者の前に2本スピーカーを置いて前方左右再生、
後にも2本スピーカーを置いて後方左右再生という方式で、
当時の4チャンネルの宣伝文句が
「あなたは、オーケストラの中にいるような感覚を味わえる。」

今考えれば非現実的音響再生の最たるものですが
我が家も時代の波に乗って、
1974年にはテクニクスから出たモジュラー型の
4チャンネルステレオを買いました。

この4チャンネル、今考えると、大きく二つの方式に分けられました。

ひとつは日本ビクター開発のCD-4を代表とした
ディスクリート4チャンネル方式。

前方左右、後方左右で録音し
前方左右2チャンネルのそれぞれの可聴音域の上に、
30キロヘルツ超くらいの人間が聞こえない周波数帯で
FM変調した後方左右の音を乗せてカッティングし、

再生時は、前方左右可聴音域通常再生プラスFM変調していた
後方左右の音を可聴音域に変換して、
視聴者後方左右のスピーカーで再生するという、
なかなか高度なワザです。
 



もうひとつが、CBS・ソニーが旗揚げのSQマトリクス方式とか、
RM(レギュラーマトリクス)とかのマトリクス方式4チャンネル。

4チャンネルで録音したソースをカッティングの段階で2チャネルに直し、
再生段階で4チャンネルに直すという、
筆者には今でもよく理解できない方式なのですが、
CD-4と比べると後方分離は悪かったのは記憶にあります。

この4チャンネル方式が細々と生き残って現在に至っているのが
5.1とか7.1とかのサラウンド方式と筆者は理解しています。

いずれの方式にせよ、この方式には人間の生理から考えると
決定的な欠陥が有ります。

すなわち、人間は後方からの音に極端に
恐怖又はそれに起因した疲れを感じることです。

無理もありません。

人間の目は前しか向いていませんから
後方からの危険の来襲に関しては、まず音で感じて
あわてて首を回して目で危険を確認する、
というプロセスがあります。

基本的には、人間の聴覚では
後方からの音はまず危険な音と推定する、
という本能がDNAに組み込まれて
現在に至っていると筆者は考えています。

結果として、後方からの音は精神的に疲れるのです。




結局、4チャンネルは聴くと短時間で疲れと飽きがくることを
筆者は10代で悟り、原点に帰って2チャンネルで聞いていました。

映画館でサラウンド方式採用の映画を見ると
後方からギイィーという扉が開く音がしたり、
ジェット機の音や弾丸の音が後から前に飛んだりすると
かなりギクッとします。

1回や2回ならスリリングでいいですが
それ以上やられると視聴者はかなり神経をすり減らし、
最後はヘトヘトに疲れます。

こんなのでは、商業ベースには乗りません。
しかしながらです。オーケストラの前と後で分けて録音したCD-4の発想で、
それをそのまま前後とも視聴者の前方に持って行って再生したら、
より舞台上のオーケストラの音に近づくのではないでしょうか。

我が家にあったテクニクスの4チャンネルステレオでは、
4チャンネルバランサーの名のもと、球の上に軸を付け、
これを前後左右に動かすことで
前後左右のスピーカーの音量を自由に調節できる機能が、
アンプのフロントパネルに付いていました。
いい発想じゃないですか。

70年代の4チャンネルは
視聴者がオーケストラの真ん中にいる感覚を楽しむ、
など、ナンセンス極まりない発想で売り出しましたが
システムを全部前に持って行って平面再生化、
あるときは後方のパーカッションを強調し
あるときは前方のヴァイオリンを強調する。

これをバランサーの軸1本でできれば結構面白い。
平面再生でのポイントはこのへんにあります。




左右のバランスは、
アンプのフロント面にある左右バランスつまみで自由に変えられますが、
現在筆者がやっている前後別々のアンプによる
前後の音のバランス調整というのは非常に煩雑です。

アンプの違い、スピーカーの違いにより
好みの音響空間を構築するために
前後それぞれのアンプのボリュームツマミを動かして
最適音量にするにはかなりの熟練がいります。

もっといいポジションがあるのではないかと、
相当に試行錯誤します。

これが楽にできないか。
このへんが今年のひとつの焦点になりそうです。