平成29年6月11日(日)14時からの
香川県県民ホールでの高松交響楽団演奏会。
出ました!
全曲チャイコフスキープログラムの前半、
ヴァイオリン協奏曲では1楽章と2楽章の間で、
後半交響曲第6番『悲愴』」では3楽章と4楽章の間で、
客席からシラケ虫が飛んで出るような、楽章間の拍手。
これをやられると、本当に楽想がぶち壊しになる。
曲の連続性も途切れる。
曲の途中で喉飴の袋をいじくって騒音を立てる「ガサガサおばさん」こそ、
こういう楽章の間でやり、又は精出して咳、咳払いをやればいい。
そういう時間なのに。
5千円を超えるコンサートでは、ある程度の経験を積み、
礼儀を知ったマニアが来るからこういうことはないのだが、
低価格になればなるほどド素人の数が増えて、
プロモーターが注意を喚起する紙切れを
プログラムに入れるなどしないと、まず起きる。
筆者の左に座っていた音楽を志す女生徒も、
残念ながら会場の雰囲気に呑まれてVコンのときはやってしまった。
ド素人が楽章間の拍手を正しいと誤認するほどコワいものはない。
ほとんど、悪性のウィルスに感染したようなものだ。
こういうやつに限って、クラシックコンサートはありがたい崇高なもの
との前提のもと、次の会場でもやる。
ここで感染した別のド素人が、別の場でまたやる。
悪の連鎖だ。
どこかで、『 それは間違っている 』
という認識をさせるワクチンを投与しておかないと、
悲惨なことになる。
某大学の某助教授など、
あちこちのサイトで筆者のブラーボはさんざんにこき下ろすも、
こういう、ほとんど社会問題に近い音楽学の問題については、
何ら的確な提言をなすこともなく逃避していた。
とばっちりと反作用がこわかったと見える。
学者の使命と良心を忘れたか、●●よ。
それに比べれば11日の演奏会にいた、もう1人のブラボー屋。
最近あの声はときどき耳にするが、なかなかに気骨のあるやつで、
タイミングも、特に6番の最後などフライングすることもなく、実に適切だった。
できの悪い学者の小理屈よりもはるかに実践的で好感が持てる。
ブラボー屋は本来孤独な職業だが、この場を借りてエールを送っておこう。
普通は、前半で無知蒙昧な聴衆の楽章間拍手に釣られて拍手したド素人でも、
曲が終わってから2人もが豪快にブラーボをやれば、
『 あの拍手は間違っていたんだ、曲の最後じゃなかったんだ 』
と気がついて、後半の曲では最後まで拍手が出ないものなのだが、
最近の香川のコンサートは、今回も含め、とみにこれが出るようになった。
落ちたものよのう。
その原因の最たるものは、ホールの指定管理者制度だ。
自治体直営の頃は、一応まともな地元愛意識を持った公務員が
ホール運営に従事すれば、
おらがホールを「あのホールは客の質が悪い、レベルが低い」と言われるのが恥
という意識があった。
そのための、注意喚起チラシを入れるとか放送をするとかの手を打っていた。
ブラーボがうるさいとのたまう客については、
歌舞伎の「音羽屋!」「成駒屋!」の掛け声と一緒で、あれは礼儀なんですよ、
と噛んで含めるように説明していた。
ところが、指定管理者になると、
聴衆に「うるさい」と文句が出やすいブラボー(屋)は悪人にするが、
楽章の間に拍手をするやつ、
曲の最後に休止符が付いていることの意義が理解できず、
曲の終わりと同時にいきなり拍手する輩については、
せっかくお喜びになっているんだから(!?)、と野放しにする。
要するに事なかれ主義の、もう、文化の破壊者だ。
その認識はあるのか?指定管理者よ。
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