香川日独協会会報に掲載。
掲載年月:2014年5月
題目:ドイツ大使と近藤昌紀の大予言
筆名:近藤昌紀
2012年6月11日、香川大学において、
「ユーロの危機」 と題して、
香川県ではもはやおなじみの顔となった、
フォルカ •シュタンツェル駐日ドイツ連邦共和国大使の講演が行われた。
香川日独協会も後援していた催しなので、
会員の方のお顔もちらほらと見えていたが、
この講演会、筆者にとっては、なかなかに刺激的な内容であった。
中でも最大の収穫は、EU欧州連合の目的が、
「単に経済統合だけでなく、“安全保障 ”と合わせた2本立てである」
との発言!
まさに目からウロコであった。
(つづく)
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自己紹介
はじめまして。近藤紀文と申します。
当ブログにご訪問頂き、ありがとうございます。
このブログでは演奏会(ライブやコンサート)参加の履歴や
日常生活で思ったことについて、様々な視点で書いていきます。
どうぞよろしくお願いいたします。
2014年6月1日日曜日
2014年4月14日月曜日
競馬の実況風に
この記事は
私が懇意にさせていただいている方へ送ったものを
自分用に編集したものです。
==================================================
競馬の実況風に読んで下さい。
ただでさえ少ない香川県のクラシック音楽人口を喰い千切り合う、
前代未聞の凄惨なクラシックレース
本日、平成26年3月2日(日)14:00
各馬一斉にスタート
出走馬、東のゲートから順に
*志度音楽ホール
和田絵理子ヴァイオリンリサイタル
馬券:1,000円
*県民ホール小ホール
コレギウム・ムジクム高松演奏会
馬券:2,000円
*サンポートホール第1小ホール
サンポートホールデビューリサイタル2日目
馬券:1,000円
*多度津町民会館
東京ニューシティ管弦楽団弦楽四重奏演奏会
馬券:2,500円
であります。
多度津は異民族としても
志度・高松の3館は同族相争い差し違えて共倒れになりかねない。
前にも書いたが書きましたが、
事前談合によりせめて昼スタートと夜スタートにでも分けられないものでしょうか。
高松など芸術団体協議会もあり
以前はハッタリと恐怖政治だけで全く調整機能を発揮しない西太后が
幅をきかせていてこういうことには使い物にならん組織でありましたが、
その西太后やら春日局やら分からん怪婆永久に辞任されたこともあり、
この際こういう上演時間調整機能を持ってもらわないと
香川のクラシック音楽文化はいずれ破綻しますっ!!
はたしてっ、はたして、どうなるのかっ!!!
(終わり)
私が懇意にさせていただいている方へ送ったものを
自分用に編集したものです。
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競馬の実況風に読んで下さい。
ただでさえ少ない香川県のクラシック音楽人口を喰い千切り合う、
前代未聞の凄惨なクラシックレース
本日、平成26年3月2日(日)14:00
各馬一斉にスタート
出走馬、東のゲートから順に
*志度音楽ホール
和田絵理子ヴァイオリンリサイタル
馬券:1,000円
*県民ホール小ホール
コレギウム・ムジクム高松演奏会
馬券:2,000円
*サンポートホール第1小ホール
サンポートホールデビューリサイタル2日目
馬券:1,000円
*多度津町民会館
東京ニューシティ管弦楽団弦楽四重奏演奏会
馬券:2,500円
であります。
多度津は異民族としても
志度・高松の3館は同族相争い差し違えて共倒れになりかねない。
前にも書いたが書きましたが、
事前談合によりせめて昼スタートと夜スタートにでも分けられないものでしょうか。
高松など芸術団体協議会もあり
以前はハッタリと恐怖政治だけで全く調整機能を発揮しない西太后が
幅をきかせていてこういうことには使い物にならん組織でありましたが、
その西太后やら春日局やら分からん怪婆永久に辞任されたこともあり、
この際こういう上演時間調整機能を持ってもらわないと
香川のクラシック音楽文化はいずれ破綻しますっ!!
はたしてっ、はたして、どうなるのかっ!!!
(終わり)
2014年1月18日土曜日
『 最良の状態で食す 』 とは
フランス料理のレストランに行き、
前菜に始まりデザートに終る一連のフルコースを堪能する。
当然、温かいものは温かく、冷たいものは冷たく、
最良の状態で順次サーブされることも料理の内だ。
今では当り前のこのサーブの開祖は、
実はフランスではなかった。
ではどこなのか。
を考察する前に、かつて見た映画で
モーツァルトがオーストリア・ハプスブルク帝国宮廷の招聘で、
御前演奏したエピソードが再現されていた。
このとき、幼少期の王女マリー・アントワネットに出会い(これは史実。)
袖を引っ張られて連れて行かれた部屋で、
巨大なテーブルに所狭しと
並べられた豪勢な宮廷料理の数々に仰天するシーンがあった。
さて、隣国・中国の宮廷も似たようなものだ。
清朝末期の西太后や最後の皇帝溥儀が登場する紫禁城モノの映画では、
満漢全席の毒見検分の後、テーブルに続々と並べられる場面が登場する。
皇帝はその中から、気に入ったものをつつくように食べる。
洋の東西を問わず、権力者の食卓とは
『 自分の権勢を目と鼻と舌で実感する一種儀式的な場 』であったようで、
あれでは温かい料理は冷め、冷たい料理はナマ温かくなり、
食すときには最適最良の状態であったとは、とても思えない。
フランスで、この半ば狂気じみた食卓に大変革が起きたのは、
ナポレオンのロシア遠征が契機だったようだ。
極寒の地ロシアの冬は、温かい料理もまたたく間に冷める。
テーブルの上に優雅に並べるような余裕など無い。
出来たての料理を人前に出し、下げる。
トルストイの『戦争と平和』を旧ソ連時代に映画化した作品では、
当時のロシア貴族のこのような会食の場面が登場する。
敗退したナポレオン軍が得た唯一の収穫は、当時は当り前でなかった
『 ロシア式サーブが料理を美味しく賞味するには最高の手段 』
ということを悟った事だろう。
翻って、日本はどうか。
「 茶事においては、出来立てのものを順次、
最良の状態で速やかに供するのが
主の客に対する最高のもてなしであり礼儀だ 」
と千利休が説いているのを見ると、
遅くとも1500年代後期には、
現在の懐石料理の提供ルールは確立されていたことになる。
ナポレオンのロシア遠征が1812年であったことを考えると、
フランス料理が現在のサーブ方を導入する200年以上も前のことだ。
2013年12月、ユネスコが和食を世界無形文化遺産に登録したが、
「今頃何を言う」だ。
前菜に始まりデザートに終る一連のフルコースを堪能する。
当然、温かいものは温かく、冷たいものは冷たく、
最良の状態で順次サーブされることも料理の内だ。
今では当り前のこのサーブの開祖は、
実はフランスではなかった。
ではどこなのか。
を考察する前に、かつて見た映画で
モーツァルトがオーストリア・ハプスブルク帝国宮廷の招聘で、
御前演奏したエピソードが再現されていた。
このとき、幼少期の王女マリー・アントワネットに出会い(これは史実。)
袖を引っ張られて連れて行かれた部屋で、
巨大なテーブルに所狭しと
並べられた豪勢な宮廷料理の数々に仰天するシーンがあった。
さて、隣国・中国の宮廷も似たようなものだ。
清朝末期の西太后や最後の皇帝溥儀が登場する紫禁城モノの映画では、
満漢全席の毒見検分の後、テーブルに続々と並べられる場面が登場する。
皇帝はその中から、気に入ったものをつつくように食べる。
洋の東西を問わず、権力者の食卓とは
『 自分の権勢を目と鼻と舌で実感する一種儀式的な場 』であったようで、
あれでは温かい料理は冷め、冷たい料理はナマ温かくなり、
食すときには最適最良の状態であったとは、とても思えない。
フランスで、この半ば狂気じみた食卓に大変革が起きたのは、
ナポレオンのロシア遠征が契機だったようだ。
極寒の地ロシアの冬は、温かい料理もまたたく間に冷める。
テーブルの上に優雅に並べるような余裕など無い。
出来たての料理を人前に出し、下げる。
トルストイの『戦争と平和』を旧ソ連時代に映画化した作品では、
当時のロシア貴族のこのような会食の場面が登場する。
敗退したナポレオン軍が得た唯一の収穫は、当時は当り前でなかった
『 ロシア式サーブが料理を美味しく賞味するには最高の手段 』
ということを悟った事だろう。
翻って、日本はどうか。
「 茶事においては、出来立てのものを順次、
最良の状態で速やかに供するのが
主の客に対する最高のもてなしであり礼儀だ 」
と千利休が説いているのを見ると、
遅くとも1500年代後期には、
現在の懐石料理の提供ルールは確立されていたことになる。
ナポレオンのロシア遠征が1812年であったことを考えると、
フランス料理が現在のサーブ方を導入する200年以上も前のことだ。
2013年12月、ユネスコが和食を世界無形文化遺産に登録したが、
「今頃何を言う」だ。