フランス料理のレストランに行き、
前菜に始まりデザートに終る一連のフルコースを堪能する。
当然、温かいものは温かく、冷たいものは冷たく、
最良の状態で順次サーブされることも料理の内だ。
今では当り前のこのサーブの開祖は、
実はフランスではなかった。
ではどこなのか。
を考察する前に、かつて見た映画で
モーツァルトがオーストリア・ハプスブルク帝国宮廷の招聘で、
御前演奏したエピソードが再現されていた。
このとき、幼少期の王女マリー・アントワネットに出会い(これは史実。)
袖を引っ張られて連れて行かれた部屋で、
巨大なテーブルに所狭しと
並べられた豪勢な宮廷料理の数々に仰天するシーンがあった。
さて、隣国・中国の宮廷も似たようなものだ。
清朝末期の西太后や最後の皇帝溥儀が登場する紫禁城モノの映画では、
満漢全席の毒見検分の後、テーブルに続々と並べられる場面が登場する。
皇帝はその中から、気に入ったものをつつくように食べる。
洋の東西を問わず、権力者の食卓とは
『 自分の権勢を目と鼻と舌で実感する一種儀式的な場 』であったようで、
あれでは温かい料理は冷め、冷たい料理はナマ温かくなり、
食すときには最適最良の状態であったとは、とても思えない。
フランスで、この半ば狂気じみた食卓に大変革が起きたのは、
ナポレオンのロシア遠征が契機だったようだ。
極寒の地ロシアの冬は、温かい料理もまたたく間に冷める。
テーブルの上に優雅に並べるような余裕など無い。
出来たての料理を人前に出し、下げる。
トルストイの『戦争と平和』を旧ソ連時代に映画化した作品では、
当時のロシア貴族のこのような会食の場面が登場する。
敗退したナポレオン軍が得た唯一の収穫は、当時は当り前でなかった
『 ロシア式サーブが料理を美味しく賞味するには最高の手段 』
ということを悟った事だろう。
翻って、日本はどうか。
「 茶事においては、出来立てのものを順次、
最良の状態で速やかに供するのが
主の客に対する最高のもてなしであり礼儀だ 」
と千利休が説いているのを見ると、
遅くとも1500年代後期には、
現在の懐石料理の提供ルールは確立されていたことになる。
ナポレオンのロシア遠征が1812年であったことを考えると、
フランス料理が現在のサーブ方を導入する200年以上も前のことだ。
2013年12月、ユネスコが和食を世界無形文化遺産に登録したが、
「今頃何を言う」だ。
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