自己紹介


はじめまして。近藤紀文と申します。
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日常生活で思ったことについて、様々な視点で書いていきます。

どうぞよろしくお願いいたします。


2020年6月16日火曜日

大いなる誤認-こんなの、意味の分からん小中学生に歌わせて、どうすんだよ !

新コロによる外出自粛が叫ばれていた5月の連休、
家の中で悶々と物心つい ての50年余りを振り返ったとき、
突然、幼少期に聞き覚えた歌曲、童謡が頭に 浮かんだことがあった。


その歌詞の、幼い頃に解していた意味と、
長じて、そ の正確な意味を知ったときの、
余りのギャップの大きさに愕然としたことがあ ることを思い出し、
己の浅はかさに思わず苦笑した。


しかし、これは読者諸氏もカミングアウトしていただきたい。

同じような間 違いを犯したまま、
もしかして今もそう信じ込んでいるのではないか、
と筆者 があなたの内心に潜り込んで行く問題だ。


逆に言うと、日本古謡と西洋音楽が 混然と融合した
明治期の文部省唱歌・歌曲の類を戦後世代に歌わせると、
こう いう誤認が起こるのでは・・・の集大成だ。


まず最初は2016年8月10日の当ブログ
筆者が「華のある曲」として大絶 賛した
武島羽衣作詞・瀧廉太郎作曲『花』、の3番の歌詞の頭、
 -錦織りなす 長堤に- を、

筆者、恐らく中学になるくらいまで
-錦織り成す 朝廷に- と誤認していた。
 
というのも、筆者幼少期の昭和40年頃からか、
NHK日曜夜8時の大河ドラ マが始まり、
折からの司馬良太郎ブームもあって、幕末ものが割と頻繁に放送 された。


その中で戊辰戦争の官軍としての薩長連合軍が、
幕府征討軍の象徴と して、
進軍歌『宮さん宮さん』を歌うシーンが何度か放送された。


その一節、  
-あれは朝敵 征伐せよとの 錦の御旗じゃ 知らないか-
が、調子の良いリズムとともに、
柔軟で何でも吸い込む幼少期の頭に刷り込ま れ、
「錦」と言えば「朝廷」と連想するようになってしまったのだ。


その結果として、「錦織り成す朝廷」とは
小学校低学年にしてはなかなかの迷 解釈だ。


それに続く節、すなわち  
-暮るればのぼるおぼろ月-
も  
-来るればのぼるおぼろ月-
と誤認し、


3番の歌詞を誤認のままで通すと  
 -錦織り成す朝廷に 来るればのぼるおぼろ月   
げに一刻も 千金の眺めを何に喩うべき-

と、これはこれで、
1番の「春のうららの隅田川」から始まる、
東京遷都間も ない明治朝廷の見事な讃歌になっている。 


2016年8月10日のブログでは、
もう1曲絶賛の
土井晩翠作詞・瀧廉太郎作曲『荒城の月 』。


その2番は、
 -秋陣営の霜の色 鳴き行く雁の数見せて 
植うる剣に照りそいし・・・-

となるが、この歌詞のポイントは「植うる剣」に有る。

実際、籠城戦などでは 、刀の鞘など払う暇がない。

剥き出しの剣を、わら束にハリネズミのように「 植うる」、
すなわち、突き刺しておいて、
刃こぼれした刀を取り替えたという 史実を謳ったものであろうが、

 -鳴きゆく雁の数見せて-
とくれば、次の節を、  

-鵜売る剣に照りそいし-
 と解したのは、
水鳥なら“雁”の次は“鵜”と頭に浮かぶ田舎育ちの少年の性か。


我が幼少期の田舎では、
自家で家禽を絞め、解体するなんぞ当り前。

で、通 して見ると、我流解釈はこうなる。
-秋の陣営で霜の色が見える季節、
(糧秣調達で鳥の鵜を売る商人が)鳴き ゆく雁の数を見せて、
(その数を見ながら、カモの代わりに)鵜を売り、
 (そ れを解体するための)剣に照りそいし-
と、

まあ、これも間違いなりに、
ストーリーになっているとは言えるのかも。


なぜ???なぜ、この様な間違いが起こるのか?

音楽の教科書では、音符の下にひらがなで歌詞を添える。
小中学生のレベル では、漢詩にまがう文語調の歌詞など、
理解する余裕なし。


とにかく、楽譜ど おりに歌うので精一杯で、
意味を理解させるために、
教科書に歌詞だけも載せ ていたのかどうかも、
今では記憶が定かでない。
 
必定、平仮名での我流解釈が 、頭にすり込まれる訳だ。


林古渓作詞・成田為三作曲『浜辺の歌』は少しパターンが違う。 
 この初頭、
-あした浜辺をさまよえば-
の「あした」は「明日」なのか、「朝」なのか。

次のフレーズの「昔のことぞ忍ばるる」の続き具合と、
2番の頭が「ゆうべ」 となっているところを見ると、
まあ、「朝」の解釈が妥当なのだが、
小学生レ ベルで「朝」を「あした」と読ませ、
理解させるのは結構つらい。


このパターンを踏襲すれば、
「明日の朝」を「あしたのあした」と
言っても おかしくはないと思うのだが、
何と、外国語でも
これとそっくりのパターンが 有ると知ったのは地勢学的驚きだ。
 
ドイツ語がまさにそれ。
 
NHKのTVドイ ツ語講座で「明日の朝」を
どう言うかがまともな論議になったとき、

単純には
「Morgen(明日の意)Morgen(朝の意):モルゲン モルゲン」
になり、

まさに日本古来の
「あしたのあした」と瓜二つ。

ゲルマン民族東洋発生説を地 で見る気分だ。  

この2番の第1節がまた面倒なことを書いている。
 -ゆうべ浜辺をもとおれば-。

これは、筆者結構いい歳になるまで、
「浜辺をも 通れば」 と解していたのだが、
どうも音の切れが悪い。

で、辞書を「もとおる」で引いたら、あったのだ。
 「もとお・る【回る・廻る】」  

これを職場の同僚に見せて、
驚きと恥ずかしのカミングアウトをすると、
そ の同僚、 「私、『元 居れば』かと思いました。」 と、
これまた名解釈を下した。

どんどん行こう。

高野達之作詞・岡野貞一作曲『朧月夜』の1番第2フレー ズ。
 -みわたす やまのは かすみふかし-

こう、平仮名で書かれると
「見渡す山野は(ワ)」なのか
「見渡す山の端(ハ )」なのか、
あるいは「山野端」も有り得る、

で、いい歳になって一念発起。

原詩を調べたら「山の端」、
すなわち「ヤマノハ」で確定。


『あおげば尊し』は、
『蛍の光』と共に官製卒業ソングの定番。

 「あおげば」「わが師の恩」で一時、
リベラル派の先生が重圧的・高圧的と 騒ぎ出して、
筆者小学校低学年のときは、
6年生が卒業式の予行演習で歌って いたのを聞いた記憶があるが、
自分の卒業のときは歌ったのかな?だ。

長じて、この歌詞を熟読して仰天。

誤認のオンパレードだ。

正:「はや幾年 (イクトセ)」は「早行くとせ」、
正:「思えば いと疾し(イトトシ)」は 「思えば 愛とし」。

幼少期はもっとひどい。

「身を立て 名をあげ」は、
卒 業生が立って、名をあげる、

すなわち、
「名前を呼ばれたらお立ち下さい」の 世界。

そして校長先生が「やよ 励めよ」と祝辞をくれる。

もう、メチャクチ ャの解釈だ。

意味を完全に理解したときは、
とっくに学校を卒業していた。
 今でも、「別れめ」の「め」の意味がよく分からない。
「分かれ目」でいい のかな?


因みに、『蛍の光』
「いつしか年もすぎの戸を」の
「すぎ」を、

筆者、小 学校1年のときには
「過ぎ」と「杉」の掛け言葉であることを理解していた。

実際に杉の戸のある旧家に住んでいた者の特権であろう。  

幼いながらに、迷解釈が二転三転した例。
高野辰之作詞・岡野貞一作曲『故 郷(ふるさと)』の冒頭。

当初、字が読めだした頃、
「うさぎおいしかの山」=「兎追い 鹿の山」。
 小学校中学年になって、「兎美味し、かの山」  

だいたい兎なんて、ペットで飼うか、
戦前は軍事用手袋の毛皮や食肉用とし て
農家で飼育されていたことを祖母から聞いていたから、
山で兎を追うなんて 、いかに田舎育ちでも想像できなかった。

野ウサギを狩猟の対象とするのは、
野ウサギが美味しいから?の発想はあった。

長じて、フレンチのジビエ(野禽)料理で兎を食したとき、
この迷解釈も捨 てたものではないことを自認。

「ガスコーニュ産の
野 “ウサギ” の “美味し” いのを
ソテーしたもので・・・云々」

などとギャルソンから講釈を垂れられると、
フ ランスの地図が頭に浮かんで、「ああ、“かの山”か」となる。  


今でも分からないこと。
高野辰之作詞・岡野貞一作曲『紅葉(もみじ)』。

「秋の夕日に照る」のは「山」なのか、「山紅葉」なのか。
 と、暇に任せて調べて行くうち、
実際には歌詞が通常歌われるよりはるかに 数多いのだが、

内容が戦後日本には
そぐわぬものもある(ため、歌われていな いものもある)ことを発見。

その1 文部省唱歌『われは海の子』  7番 

いで大船を乗出して 我は拾わん海の富 
いで軍艦に乗組みて 我は 護らん海の国

その2 作詞不詳 スコットランド民謡『蛍の光』  4番

千島のおくも 沖縄も 
八州のうちの 守りなり 
至らんくにに い さおしく 
つとめよ わがせ つつがなく

1 件のコメント:

  1. 以前実験募集に応募した者です。
    実験再開時を教えて頂きたくメールをさせて頂きましたがメールの返信はないのにブログは更新されている模様。所長殿は杜撰すぎます。

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