新コロによる外出自粛が叫ばれていた5月の連休、
家の中で悶々と物心つい
ての50年余りを振り返ったとき、
突然、幼少期に聞き覚えた歌曲、童謡が頭に
浮かんだことがあった。
その歌詞の、幼い頃に解していた意味と、
長じて、そ
の正確な意味を知ったときの、
余りのギャップの大きさに愕然としたことがあ
ることを思い出し、
己の浅はかさに思わず苦笑した。
しかし、これは読者諸氏もカミングアウトしていただきたい。
同じような間
違いを犯したまま、
もしかして今もそう信じ込んでいるのではないか、
と筆者
があなたの内心に潜り込んで行く問題だ。
逆に言うと、日本古謡と西洋音楽が
混然と融合した
明治期の文部省唱歌・歌曲の類を戦後世代に歌わせると、
こう
いう誤認が起こるのでは・・・の集大成だ。
まず最初は、2016年8月10日の当ブログで
筆者が「華のある曲」として大絶
賛した
武島羽衣作詞・瀧廉太郎作曲『花』、の3番の歌詞の頭、
-錦織りなす 長堤に-
を、
筆者、恐らく中学になるくらいまで
-錦織り成す 朝廷に-
と誤認していた。
というのも、筆者幼少期の昭和40年頃からか、
NHK日曜夜8時の大河ドラ
マが始まり、
折からの司馬良太郎ブームもあって、幕末ものが割と頻繁に放送
された。
その中で戊辰戦争の官軍としての薩長連合軍が、
幕府征討軍の象徴と
して、
進軍歌『宮さん宮さん』を歌うシーンが何度か放送された。
その一節、
-あれは朝敵 征伐せよとの 錦の御旗じゃ 知らないか-
が、調子の良いリズムとともに、
柔軟で何でも吸い込む幼少期の頭に刷り込ま
れ、
「錦」と言えば「朝廷」と連想するようになってしまったのだ。
その結果として、「錦織り成す朝廷」とは
小学校低学年にしてはなかなかの迷
解釈だ。
それに続く節、すなわち
-暮るればのぼるおぼろ月-
も
-来るればのぼるおぼろ月-
と誤認し、
3番の歌詞を誤認のままで通すと
-錦織り成す朝廷に 来るればのぼるおぼろ月
げに一刻も 千金の眺めを何に喩うべき-
と、これはこれで、
1番の「春のうららの隅田川」から始まる、
東京遷都間も
ない明治朝廷の見事な讃歌になっている。
2016年8月10日のブログでは、
もう1曲絶賛の
土井晩翠作詞・瀧廉太郎作曲『荒城の月
』。
その2番は、
-秋陣営の霜の色 鳴き行く雁の数見せて
植うる剣に照りそいし・・・-
となるが、この歌詞のポイントは「植うる剣」に有る。
実際、籠城戦などでは
、刀の鞘など払う暇がない。
剥き出しの剣を、わら束にハリネズミのように「
植うる」、
すなわち、突き刺しておいて、
刃こぼれした刀を取り替えたという
史実を謳ったものであろうが、
-鳴きゆく雁の数見せて-
とくれば、次の節を、
-鵜売る剣に照りそいし-
と解したのは、
水鳥なら“雁”の次は“鵜”と頭に浮かぶ田舎育ちの少年の性か。
我が幼少期の田舎では、
自家で家禽を絞め、解体するなんぞ当り前。
で、通
して見ると、我流解釈はこうなる。
-秋の陣営で霜の色が見える季節、
(糧秣調達で鳥の鵜を売る商人が)鳴き
ゆく雁の数を見せて、
(その数を見ながら、カモの代わりに)鵜を売り、
(そ
れを解体するための)剣に照りそいし-
と、
まあ、これも間違いなりに、
ストーリーになっているとは言えるのかも。
なぜ???なぜ、この様な間違いが起こるのか?
音楽の教科書では、音符の下にひらがなで歌詞を添える。
小中学生のレベル
では、漢詩にまがう文語調の歌詞など、
理解する余裕なし。
とにかく、楽譜ど
おりに歌うので精一杯で、
意味を理解させるために、
教科書に歌詞だけも載せ
ていたのかどうかも、
今では記憶が定かでない。
必定、平仮名での我流解釈が
、頭にすり込まれる訳だ。
林古渓作詞・成田為三作曲『浜辺の歌』は少しパターンが違う。
この初頭、
-あした浜辺をさまよえば-
の「あした」は「明日」なのか、「朝」なのか。
次のフレーズの「昔のことぞ忍ばるる」の続き具合と、
2番の頭が「ゆうべ」
となっているところを見ると、
まあ、「朝」の解釈が妥当なのだが、
小学生レ
ベルで「朝」を「あした」と読ませ、
理解させるのは結構つらい。
このパターンを踏襲すれば、
「明日の朝」を「あしたのあした」と
言っても
おかしくはないと思うのだが、
何と、外国語でも
これとそっくりのパターンが
有ると知ったのは地勢学的驚きだ。
ドイツ語がまさにそれ。
NHKのTVドイ
ツ語講座で「明日の朝」を
どう言うかがまともな論議になったとき、
単純には
「Morgen(明日の意)Morgen(朝の意):モルゲン モルゲン」
になり、
まさに日本古来の
「あしたのあした」と瓜二つ。
ゲルマン民族東洋発生説を地
で見る気分だ。
この2番の第1節がまた面倒なことを書いている。
-ゆうべ浜辺をもとおれば-。
これは、筆者結構いい歳になるまで、
「浜辺をも 通れば」
と解していたのだが、
どうも音の切れが悪い。
で、辞書を「もとおる」で引いたら、あったのだ。
「もとお・る【回る・廻る】」
これを職場の同僚に見せて、
驚きと恥ずかしのカミングアウトをすると、
そ
の同僚、
「私、『元 居れば』かと思いました。」
と、
これまた名解釈を下した。
どんどん行こう。
高野達之作詞・岡野貞一作曲『朧月夜』の1番第2フレー
ズ。
-みわたす やまのは かすみふかし-
こう、平仮名で書かれると
「見渡す山野は(ワ)」なのか
「見渡す山の端(ハ
)」なのか、
あるいは「山野端」も有り得る、
で、いい歳になって一念発起。
原詩を調べたら「山の端」、
すなわち「ヤマノハ」で確定。
『あおげば尊し』は、
『蛍の光』と共に官製卒業ソングの定番。
「あおげば」「わが師の恩」で一時、
リベラル派の先生が重圧的・高圧的と
騒ぎ出して、
筆者小学校低学年のときは、
6年生が卒業式の予行演習で歌って
いたのを聞いた記憶があるが、
自分の卒業のときは歌ったのかな?だ。
長じて、この歌詞を熟読して仰天。
誤認のオンパレードだ。
正:「はや幾年
(イクトセ)」は「早行くとせ」、
正:「思えば いと疾し(イトトシ)」は
「思えば 愛とし」。
幼少期はもっとひどい。
「身を立て 名をあげ」は、
卒
業生が立って、名をあげる、
すなわち、
「名前を呼ばれたらお立ち下さい」の
世界。
そして校長先生が「やよ 励めよ」と祝辞をくれる。
もう、メチャクチ
ャの解釈だ。
意味を完全に理解したときは、
とっくに学校を卒業していた。
今でも、「別れめ」の「め」の意味がよく分からない。
「分かれ目」でいい
のかな?
因みに、『蛍の光』の
「いつしか年もすぎの戸を」の
「すぎ」を、
筆者、小
学校1年のときには
「過ぎ」と「杉」の掛け言葉であることを理解していた。
実際に杉の戸のある旧家に住んでいた者の特権であろう。
幼いながらに、迷解釈が二転三転した例。
高野辰之作詞・岡野貞一作曲『故
郷(ふるさと)』の冒頭。
当初、字が読めだした頃、
「うさぎおいしかの山」=「兎追い 鹿の山」。
小学校中学年になって、「兎美味し、かの山」
だいたい兎なんて、ペットで飼うか、
戦前は軍事用手袋の毛皮や食肉用とし
て
農家で飼育されていたことを祖母から聞いていたから、
山で兎を追うなんて
、いかに田舎育ちでも想像できなかった。
野ウサギを狩猟の対象とするのは、
野ウサギが美味しいから?の発想はあった。
長じて、フレンチのジビエ(野禽)料理で兎を食したとき、
この迷解釈も捨
てたものではないことを自認。
「ガスコーニュ産の
野 “ウサギ” の “美味し” いのを
ソテーしたもので・・・云々」
などとギャルソンから講釈を垂れられると、
フ
ランスの地図が頭に浮かんで、「ああ、“かの山”か」となる。
今でも分からないこと。
高野辰之作詞・岡野貞一作曲『紅葉(もみじ)』。
「秋の夕日に照る」のは「山」なのか、「山紅葉」なのか。
と、暇に任せて調べて行くうち、
実際には歌詞が通常歌われるよりはるかに
数多いのだが、
内容が戦後日本には
そぐわぬものもある(ため、歌われていな
いものもある)ことを発見。
その1 文部省唱歌『われは海の子』
7番
いで大船を乗出して 我は拾わん海の富
いで軍艦に乗組みて 我は
護らん海の国
その2 作詞不詳 スコットランド民謡『蛍の光』
4番
千島のおくも 沖縄も
八州のうちの 守りなり
至らんくにに い
さおしく
つとめよ わがせ つつがなく
以前実験募集に応募した者です。
返信削除実験再開時を教えて頂きたくメールをさせて頂きましたがメールの返信はないのにブログは更新されている模様。所長殿は杜撰すぎます。