自己紹介


はじめまして。近藤紀文と申します。
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日常生活で思ったことについて、様々な視点で書いていきます。

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2020年8月30日日曜日

マスク美人の浦島太子

最初に、
これは新コロ対策でマスクを着用し続けなければならない境遇にある、
三十路過ぎの女性に与ふる警告の書であることを、
お断わり申し上げておく。

 筆者が平日に日々顔を合わす女性の中で、ドラ娘と同世代の人が1人いる。
ドラ娘が昭和最後の9月生まれなら、この女性は平成最初の8月生まれ
ということで、ドラ娘とは1年足らずの同世代であり、
離れて暮らすドラ娘の行動様、容貌の変容などを伺い知るうえでは
格好の代替サンプルであり、注視していた。

といっても、昨年の今頃の筆者は“注視”などできる状態ではなかった。

左眼の白内障がどうしようもなく悪化し、
6月の人間ドックでは、視力検査器具をのぞいても、
ことごとく真っ白で何も見えない。

眼科で矯正しまくって0.02とかで、
左眼だけでものを見た場合、1m前にいる人の顔の存在は分かっても、
目鼻口は全く識別できない、のっぺらぼうに見える。

車を運転していて信号待ちのため停車したとき、
左眼だけで前の車のナンバーを見ても、さっぱり数字が読めない。
ナンバープレートの存在は分かるが、真っ白にしか見えない。
右眼を開けば、かろうじて数字は読めたかな、の状態だ。

事実上、あの頃の筆者は、
右眼の裸眼視力0.8だけを頼りに生きていたようなものだ。

追い討ちをかけるように、今年2月の誕生日を境に、
車の運転免許、小型船舶2級の海技免許の更新年が重なり、こ
のままではどちらも免許を取り上げられることは必定。

「白内障の手術ほど、人を幸せにする手術はありません」と
いう行き着けの漢方薬局の店主の言葉に背中を押され、
事前検査や諸手続きを経て、12月24日に手術を断行。

このための検査時、係りつけ医、手術医ともに、ハンで押した
ように「よく濁ってますねえ」と言う状態だったから、
それなりに重症だったのだろう。

しかし、漢方薬局店主の言葉に全くウソが無かったと言えるのは、
手術台に寝るまで、例によって医師・看護師の顔はろくに見えない。

左眼を開けて、手術医の
「青いランプの光が見えますか?それをじっと見ていて下さいね。」
で手術は開始されたらしいのだが、
その後も、痛くもかゆくも無いとはこのことだ。

10分も過ぎた頃だろうか、看護師の「もうすぐ終わりますからね」の声
と前後して、物を吸い取るような機械音。

多分、あれは破砕した水晶体を吸い
出していたのであろうと思われるが、看護師の
「はい。終わりました。上体を上げてください。手術台から降ります。」
の声とともに、周りを見渡すと、何と、総てが見える。

医師の顔も看護師の顔も。
いい歳をして、思わず「見える!見える!」を無意識に連発する筆者。

正味15分程度の手術で、片目だけの手術のため、
お泊りはなく、処方箋薬局で薬等をもらったら、
1時間後には防護メガネをかけて、とは言え、職場復帰。

暗澹たる人生を送ったその年の盆・正月の悲哀がクリスマスイブに一転した。
で、年が明けて執務を開始するや、ひとつのことに気が付いた。

業務用パソコンをにらんでいて、疲れ休めに目を上げると、
はるか向こうにくだんの三十路になり立ての彼女の顔が見える。

手術後しばらくしての検査では、両眼とも視力1.5という
驚異の若返りをした筆者の目だったから、
手術前には存在すら
見えたかどうか分からない彼女の目鼻立ちまでくっきりと見える。

女性職員は彼女の他にもいるが、視線の横にいて見えないか、
背中しか見え
ないかだったし、
彼女の前にいる男性職員は外出の多い業務だったから、やた
ら彼女の顔ばかり見える。

視力回復後の成果として、彼女のご尊顔を拝しつつ、
人生後半の懸案解決ができたことの有難味を痛感する日々となった。

で、彼女は2018年6月30日の本ブログ掲載した、
首から上は「3日で飽きる」美女か、「3日で慣れる」美女か。

ある部分の特徴を横に置いておけば、全体的雰囲気は、
故森本草介画伯描く、純和風美人の系統を引くと言っていい。

目鼻立ちが外人ほどに大げさなつくりでない、
しっとりとした雰囲気の顔立ちではあるのだが、問題(?)は鼻より下だ。

その特徴を端的に述べるなら、西洋史に首を突っ込んだことのある人なら、
その名を知らぬ者はないであろう、大航海時代後には「日の沈まない帝国」を
造り上げた、オーストリア及びスペインの両ハプスブルク家一族の身体的特徴
として、遺伝学の格好の材料ともされるその容姿を、なぜか日本人の彼女が持
っているのだ。
まあ、他の日本人でも、例えば故永六輔氏の口から下を思い出せばいい、
と言えば見当はつくであろうが。

この顔面的形質の特徴として、永六輔氏の話し方を思い出すと分かるが、
何か舌足らずなペチャペチャッとした話し方・発音になる。

これは、オーストリア女帝マリア・テレジアの娘にして、
まさにハプスブルク家の形質をそのまま引き継いだ、
フランス・ルイ王朝最後の皇后となったマリー・アントワネットの顔も
話し方もそうであったという記録が多々残っており、実は、筆者の視線
の先に在る彼女も、そういう顔と話し方というか、発音の気を持っている。

その話をもろに言わず、彼女に、
「もしかしたら、あんたの祖先、ハプスブルク家出身ちゃうか。
それとも、ハプスブルグ家の落し胤の末裔?」
と、彼女、その後、ハプスブルグ家一族の容姿の事を調べたのかどうか、
「あんまり訳の分からん事、聞かんとって!」
ときた。

目が良くなった恩恵はまだ続く。
少なくとも、この彼女が2018年6月30日ブログに書いた、
これは間違いなく「首から下美人」であることも分かった。

今年の2月、彼女、外出する業務があり、たまたま着ていた上着を脱いでいたの
だが、防寒対策でか、体に密着した黒いセーターを着ていた、
そのシルエットが、まさに森本草介画伯描くモデルそっくり。

出るところは、(外人女性的出過ぎをしない程度に)出て、
細くなるべきところは、細くなり過ぎない程度に細い。

森本画伯描くモデルさんは、隠れた部分も均整が取れているためか、上に何
を着ても、出るところは出、引っ込むところは引っ込んでいる。

そういう目で彼女を見ていると、上に何かを羽織っていても、
体を曲げたり、立ったり座ったりの所作の随所で、
これはボディーラインが不細工ではこうはならないと思えるシーンが散見される。

たまたま窓から差し込む西日を避けるため、遮蔽の紙を貼る必要が出たとき、
森本画伯の画集から、妖しい着衣ではない地味な着衣でも基礎となるボデ
ィーラインがしっかりしていると画家の目にもこう映る、
というページを何枚か拡大コピーして貼り、た
またま彼女が近くを通ったときなど、
「うわっ、あの絵そっくり」
と、まあ、筆者からすれば美女礼賛的言葉で(彼女の首から下を)賞賛した。


その彼女が、新コロの影響で職場にもマスク着用令が出され、
4月くらいからマスクを付け始めたから、もう数ヶ月、
彼女のハプスブルク家的特徴は隠され、「マスク美人」生活が続いている。

昼食は、彼女、弁当派のため、それを食すときとか、飲み物を飲むときは
マスクをはずすのだが、
ある程度離れているから別段変化は感じなかったのだが、つい最近、
マスクを外した彼女と間近で話すことがあって仰天。
 

わずか数ヶ月の間に彼女の口周り、見事にオバサン化していたのである。
マスクのせいなのか、
マスクをしているせいでお肌のお手入れがしにくくなっているのか、
ほうれい線が出ているとまでは言わないが、光と影の関係で、悪い意味でえらく
不要な彫りが深くなったようで、マスクをはずした途端、わずか数ヶ月の間に
浦島太郎化したというか、浦島太子になってしまった。

世の三十路を過ぎた女性に申し上げる。マスク美人化で、
目元からひたいあたりまで綺麗にしてれば事は済むと、油断されていないでしょうな。
というより、無理な対策はしなくてよろしい。

頻繁にマスクを取って、鼻から下の地肌をさらけ出し、男
性の目を慣らしておきましょう。でないと、このまま長期に
マスク生活を続けることにでもなれば、
ようやくマスクが取れたあかつきには、
「はて、どこのオバサン?」と言われかねませんぞ。

1 件のコメント:

  1. ここの所長宛に実験参加の申し込みを
    したのだが返事がない.

    自分の都合の悪い事には返事をしない
    悪辣な方であろう.

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