自己紹介


はじめまして。近藤紀文と申します。
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日常生活で思ったことについて、様々な視点で書いていきます。

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2021年6月9日水曜日

余はいかにしてワグネリアンとなりしか ー運命の女神ノルンのつむぐ綱は未だ切れず、筆者とつながっている一 その5

・作曲家ヴァーグナーは混同される。
もうひとつ、ワグネリアンを苛立たせるのは、
ヨーゼフ・フランツ・ヴァーグナーの存在だ。

リヒ ャルト・ヴァーグナーとは縁もゆかりもない、
こちらのヴァーグナーは、タイケの『旧友』と並んで、
ドイツ・オーストリア・マーチの双璧をなす
『双頭の鷲の旗の下に』の作曲者として知られる。

この 曲は、小学校の運動会の行進曲に結構使われるから、
情けないことには、ヴァーグナーと言えば、
このマーチの作曲者とのたまう小学校の先生は多い。

ええ、そりや、確かににこのマーチも名曲ですよ。
必聴の名曲でしょう。ゲルマニア(=ドイツマニア)にとっては。

でも、リヒャリトの方はこんなもんじゃありません。
再度言わせてください。
す ごい。深い。和音が厚い。他の音楽とは全く違う。


・結婚式の余興のカラオケ用にお勧め。ヴァーグナーの「結婚の合唱」
自慢する訳ではないのだが筆者は、
リヒャルト・ヴァーグナーの「結婚の合唱」を
原語のドイツ 語で暗記している。

頭の固くなってきた最近の筆者なら、
かなり暗記に苦労するかもしれないが、
幸 いにも、若いときに、好きこそ物の上手なれで、
その気になって対訳を片手にレコードをかけて覚え た。

これが、後々におおいに役に立った。

例えば、結婚式の余興が盛り上がり、
突然のカラオケのご指名をいただく。
それではと、おもむろ にMCのお姉さんに、その曲名を言う。
思わず、キョトンとするお姉さん。

そこで、例のロ三味線で
「パーンパーカバーン、パーンパーカバーン」
とやるとすぐ納得する。
どこの式場でも、この曲のCDは必ず置いてあるし、
エレクトーンの生演奏をするようなケースでも、
必ず、この曲の楽譜は持っ ている。

ということで、MCのお姉さんが
「近藤様がお歌いいただくのは、リヒャルト・ヴァーグナー作曲、 歌
劇『ローエングリン』第3幕第1場より「結婚の合唱」」
などと言い出そうものなら、このめでた の席で、
「また、めんどげなことを」
と言わんばかりの視線がこちらを向く。

そこで、例の序奏が鳴 り始める。

ほとんどの人は、この序奏から知っているから、
うざったそうだった目が、
この男、いっ たい何を始めるつもりや、と、
好奇の目に変わる。

そこでおもむろに歌い出す。
「Treulich gefuhrt zieht dahin,
(トロイリッヒ ゲフュールト チーエット ダヒン)・・・」
この曲は知っていても、歌詞付きであったと知る人は、まずいない。
これで、サプライズ。

歌詞はド イツ語で、少々間違ってもケムリに巻ける。
歌詞はそんなに長くない。

終われば、それなりの敬意を 持った拍手。

日独協会の会員諸氏なら、多少たりとも、
ドイツ語に造詣はあろうと思うから、
今から覚えるなら、 これに尽きる。

便利であり、一押しである。

・ヴァーグナーの歌劇『タンホイザー』でもあるまいし、結婚式場で歌合戦とは!
小泉元首相が大好きなことで有名になった、ヴァーグナーの歌劇『タンホイザー』。

その第2幕第4場での騎士たちの歌合戦、
いわゆる「ヴァルトブルクの歌合戦」の場は、
この歌劇の中でも見せ場 のひとつとなっているが
このシーンが何と結婚式の場で起こった。

その日、私は新郎側の招待者の一人として座っていたのだが、
披露宴の余興で、小癪にも、新婦側 の職場の上司が、
べートーベンの第9交響曲の第4楽章を飾る、
いわゆる「歓喜の歌」をドイツ語で 歌ったのだ。

筆者はこの曲もそらんじていたので、どうとも思わなかったが、
それまで、ド演歌と長 渕剛でつないできた新郎側は、さすがに萎縮する。
筆者も若かった。負けてはいられない。

起死回生の一撃を担い、この日はたまたま、
エレクトーン の生演奏付きであったので、
ヴァーグナーの「結婚の合唱」の楽譜は有るかと奏者に聞くと、
有ると いう。

上記と同じ手順で勝負に出た。

この日は相手方が「めんどげなことを」先にやっていてくれたので、
うざったい目では さすがに 見られない。

堂々たるドイツ語曲の勝負になった。
結果としては、その場は引き分け。

後で聞いたら、 新婦側のその上司とやらが、
職場で、 「あの、ドイツ語の歌を歌った男は一体、
どんな人間で、何をやっている人物なんだ?」 と、
筆者の氏素性を聞いたというから、
このような場では、歌は人を表すということになるのだろう。

<続く>

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