四国新聞に記事が載った。
…と言っても、昔のことである。
現在、ブラジルのリオデジャネイロではオリンピックが開催されており、
世界中で熱狂的な興奮を巻き起こしている。
熱狂つながりとでも言おうか。
上記の記事に書かせていただいた『とあるイベント』は、
当時の高松ではオリンピックに勝るとも劣らない
熱狂的な興奮を巻き起こしたのだ。
そのようなわけで、『テレサ・ベルガンサ』の高松公演が決まった当時、
四国新聞に掲載された小生の記事を紹介いたします。
なお、新聞記事のブログ掲載にあたって、
四国新聞社には了承を得ている。
また、テレサ・ベルガンサについては下記を参考にしていただきたい。
Wikipediaの「テレサ・ベルガンサ」のページ
四国新聞25面の 『 文化 』 欄に掲載。
掲載年月日:1994年2月26日(土)
題目:ベルガンサ高松公演に寄せて
筆名:近藤昌紀
私はその時、テレビの画面に釘付けになった。
1992年7月26日 、時差の関係で現地では7月25日、
スペインはバルセロナのオリンピック開会式の模様を
画面は映し出していた。
夕闇が迫り、ライトがこうこうと照らしだす特設ステージから、
突然聞こえ始めたオペラの名曲の数々。
見よ。ブラシド・ドミンゴがいる。
ホセ・カレーラスがいる。
スペインが生んだ、いや、カレーラスはメキシコ出身だから
スペイン語圏が生んだ、と言った方が正しいのだろうか、
世紀の名歌手が続々と舞台で登場するではないか。
やがて女性陣も登場。もちろん、先陣を切ったのは
名花テレサ・ベルガンサであった。
( つづく。)
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