実は、この件の先例となったのもヴァーグナーだ。
ヴァーグナーは旅先のベネチアで亡くなったが、
その亡がらがイタリアでなく、バイロイトに葬られているのは、
国葬扱いの特別列車でバイロイトに
送られたからである。
いずれにせよ、ルートヴィッヒ2世の功績は、
晩年のリヒャルト・ヴァーグナーを宮廷に迎え、厚
遇したことだろう。
その恩恵は、単に芸術的な面に止まらない。
時代は下って、第2次大戦後の東西
冷戦時代。
バイロイト祝察劇場が、位置的には、旧西ドイツの、
旧東ドイツ国境に近い場所にあった
おかげで、
旧東側も考えたことであろう。
「鉄のカーテン」を破って西に侵攻し、
ここを占領したりすれば、
旧西側陣営からどのような反撃を食らうか分からない。
それゆえ、少なくとも欧州では、東西
間の熱い戦争は起こらなかった、
と、筆者は本気で考えている。
そして、ル一トヴィッヒ2世の建てたノイシュヴァンシュタイン城や
バイロイト祝祭劇場がドイツ
経済をどれはど潤し続けているかを考えれば、
王の浪費も許される?
さて、フランソワ1世の末期は、平穏であったのだろうか。
少なくともルートヴィッヒ2世の末路
は、平穏ではなかった。
内憂外患で心神がボロボロになった政治には不向きの夢想家王は、
40歳
の若さで精神科の主治医を道連れに、謎の水死をとげた。(合掌)
<続く>
自己紹介
はじめまして。近藤紀文と申します。
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