自己紹介


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2021年6月2日水曜日

余はいかにしてワグネリアンとなりしか ー運命の女神ノルンのつむぐ綱は未だ切れず、筆者とつながっている一 その2

実は、この件の先例となったのもヴァーグナーだ。

ヴァーグナーは旅先のベネチアで亡くなったが、
その亡がらがイタリアでなく、バイロイトに葬られているのは、
国葬扱いの特別列車でバイロイトに 送られたからである。

いずれにせよ、ルートヴィッヒ2世の功績は、
晩年のリヒャルト・ヴァーグナーを宮廷に迎え、厚 遇したことだろう。

その恩恵は、単に芸術的な面に止まらない。

時代は下って、第2次大戦後の東西 冷戦時代。
バイロイト祝察劇場が、位置的には、旧西ドイツの、
旧東ドイツ国境に近い場所にあった おかげで、
旧東側も考えたことであろう。

「鉄のカーテン」を破って西に侵攻し、 ここを占領したりすれば、
旧西側陣営からどのような反撃を食らうか分からない。

それゆえ、少なくとも欧州では、東西 間の熱い戦争は起こらなかった、
と、筆者は本気で考えている。

そして、ル一トヴィッヒ2世の建てたノイシュヴァンシュタイン城や
バイロイト祝祭劇場がドイツ 経済をどれはど潤し続けているかを考えれば、
王の浪費も許される?

さて、フランソワ1世の末期は、平穏であったのだろうか。

少なくともルートヴィッヒ2世の末路 は、平穏ではなかった。
内憂外患で心神がボロボロになった政治には不向きの夢想家王は、
40歳 の若さで精神科の主治医を道連れに、謎の水死をとげた。(合掌)

<続く>


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