奇しくも前回の記事
「歴史と地理は紛争解決策の宝庫であり、そこから学ぶべきことは多いです。」の後半と
類似の考察が、週刊朝日12月30日号の
ロシア政府アドバイザー「アンドレイ・フョードロフ元ロシア外務次官」への
インタビューとして載っていたのに気を強くしました。
こちらは単純に、【ロシアは自国の安全が欲しい。
ウクライナがNATOに加盟しないことが停戦合意の条件となる】
と言っていますが・・・。
奇しくも前回の記事
「歴史と地理は紛争解決策の宝庫であり、そこから学ぶべきことは多いです。」の後半と
類似の考察が、週刊朝日12月30日号の
ロシア政府アドバイザー「アンドレイ・フョードロフ元ロシア外務次官」への
インタビューとして載っていたのに気を強くしました。
こちらは単純に、【ロシアは自国の安全が欲しい。
ウクライナがNATOに加盟しないことが停戦合意の条件となる】
と言っていますが・・・。
拝復 香川日独協会御中
近藤です。
『さて、香川日独協会では今年のクリスマス行事として
ドイツ映画「バルーン 奇蹟の脱出」の上映会とクリスマスパーティを
下記の通り(12月18日)開催することになりました。
上映される映画は1979年東ドイツから手づくりの熱気球で
西ドイツに亡命した家族の実話を映画化したものです。』
Sさん
『今更ながらの質問。どうして確定申告の時期になると、街宣車が走り回るの?
うちの会社のまわり、機動隊が出て、大変な騒ぎやけど…』
近藤『最終日だったか、その前後に共産党系の民主商工会参加の個人・事業主
(基本的に申告納税制度に反対している連中の集団)が共同で一斉に固まって
確定申告するため。単純に言って国税への嫌がらせだ。
そこへ反共集団の右翼が街宣車でお出ましとなる。まあ、どっちもどっちだな。』
Sさん『毎年や。街宣車出てるけど、なぜ国税に嫌がらせをするの?』
近藤『要するに、国家権力の象徴の国税に対する嫌がらせ。意地の張り合い。
暴力闘争でなく、順法闘争の最たるもんだわ。』
Sさん『右翼も左翼もそこで、国税に嫌がらせをするとは賢いなあ。
反社会勢力って頭悪い人の集団と思っていたけどなぁ』
近藤『反社と右翼は、胴体はほとんど同じだが、首から上は
共産党を目の敵にするか否かで変わる。反社はカネだけ。イデオロギーはない。』
Sさん『無渦化しすぎてわからん>_< もうええ。
ロシアとアメリカみたいなもん?考え方の違いって事かな…』
近藤『ヤクザの親分すなわち反社集団のてっぺんが、
右翼または反共団体のてっぺんを兼ねるというのはままある。
でもヤクザの本領は、右翼だろうが左翼だろうが金蔓にすり寄って
私腹を肥やすことばかり考えていることだろうな。
ヤクザと北朝鮮が蜜月関係にあり、北朝鮮の出来の悪い覚醒剤密輸のお得意先が
日本のヤクザなんて有名な話なんだが、ヤクザの節操のなさの典型事例だ。
ヤクザはカネでどうにでも転ぶが、右翼になると
ある程度反共集団の看板を挙げている限り、
カネは絡まなくとも街宣車を走らすことはある。
上意下達のヤクザ社会では共産主義に目覚めて、
しのぎの平等分配とか、末端からの革命などと言い出してはたまらんからな。
このへんは右翼とヤクザは胴体は同じ。ということだ。』
Sさん『わかったような…まだわからんことがある気がする>_<
もやもやしとる>_<』
近藤『共産主義運動から派生した、今や死語化した「学生運動」を
経験した世代とそうでない世代が、わずかな年齢差でも感じられるなあ。
簡単に言い直します。
今の日本は資本主義社会で、その資本主義の対極にあるのが共産主義。
世界で共産主義というより共産党国家として生き残っているのが有名どころでは
中国、ベトナム、キューバ、北朝鮮。
中国なんて共産主義の組織力のみを利用した資本主義国家としか
私には見えないんですけどね。
北朝鮮は共産主義国家の名を借りた帝政国家。
で、日本では共産党は政党として生き残っており、
今までの選挙結果から見て百万足らずの県民の内、1万人足らずが共産党支持者です。
共産党の理念からすると、今の日本国家を牛耳る資本主義は敵の思想であり、
その資本主義国家の手先として人民の所得を吸い上げるのが、国税・税務署な訳です。
敵思想の手先・先兵である税務署に対して、集団で税務署に来て
一斉に確定申告をして事務を停滞させ、国家を困らせるという順法闘争をするのが
共産党主義の商工会「民主商工会」。略称は民商。
その対極にあるのは国家資本主義であり、その思想の暴力的支持集団が「右翼」で、
武力闘争が困難になった現代においては、街宣車による共産党への嫌がらせ活動がメインにの闘争手段になっています。
かつては、会社のストライキなどの実力闘争に対し、そのストライキ破りの兵力要員として右翼と提携したヤクザが、戦闘服を着て、乗り込んでくるなどというシーンがテレビでも出ていました。
しかし、もはや今の日本では共産党の扇動や
戦術による会社の左翼思想で固まった社員集団のストライキも、
そのストライキをぶち壊すために、ロックアウトされた会社に乗り込む右翼、
その提携先、武闘派暴力団も見なくなりましたね。
だから、右翼や左翼と言われても、今の若い人にはその行動実態を見ていないから、
まさに、「なんで突然、街宣車が現れて、税務署の周りで騒ぐの?」と
なるのはごく自然の成り行きです。
今の私など、
日本を身を挺して共産主義から守ってくれたアメリカに感謝の言葉しかない。
Sさん『私は感動しておる(笑)
理解力のない私のために池上あきら以上に分かりやすい説明をしてもらって感♥謝
自分なりにおさらいしてみる。』
近藤『”おさらい”の手助けで私も頭の中を整理する。
中国は未だに共産主義国家だが、
この共産主義思想の根幹をなすのが「生産手段の共有」。
生産手段の最たるものが農作物生産手段の「土地」。
多くの、現在も共産主義国家として生き残っている国の昔は
あるいは戦前の日本も、土地は地主階級の私有であり、
ほとんどの農民は小作農として土地に貼り付けられたうえに移動も制限され、
酷使され、生産された農作物は地主階級の物となってしまう。
で、共産革命の手始めは生産手段の最たるものとしての土地を「共有」。
その共有の究極の姿として土地を「国有化」してしまった。
そのなかで中国は、国有化した土地の上に、
全農民を国家の小作農として、再度、能力に応じて張り付けた。
恐ろしいことだが、
この「土地の国有化」は半世紀を過ぎた現代において、思わぬ効果を発揮する。
小平の改革・開放路線を端緒として工業力をつけた中国は、
工業用地を確保するために、元々、国有地に張り付いていた農民を
極端に低い補償で放り出すという荒業をやってしまったのだ。
(ここが日本と違う。日本では、土地は個人所有権の対象であり、
公共事業などで土地所有権を奪うにしても、それ相応の補償をすることが
憲法で明記されている。)
現在の中国の工業力、技術発展にの裏には
このような農民に対する不条理な考えようによっては
「国有化された土地」という制度を最大限に悪用した中国国家のために
生産手段を奪われた農民の多大な犠牲により、現在の中国の発展は成り立っている。 』
ジャストシステム売り上げ第1号の話は涙なしには読めません。
平面システム香原もかくあるべしと思う次第です。
同じ、電気製品の話であるだけに、アート引越センターよりも身近に感じます。
これからの話の成り行きによっては、
香原の運命を左右するような話も出てくるかもしれません。
掲載年月日:2008年4月
掲載元:香川日墺協会~10周年によせて
題目:「双頭の鷲の旗の下に」ならぬ「ドイツ語という言語の下に」
筆名:近藤昌紀
より
・でもやっぱり、音楽はオーストリア。
そして、さらに喜ぶべし!
ドイツ語以上に、音楽も愛する会員諸氏よ。
べートーベンの第9交響曲第4楽章を彩る、
いわゆる「歓喜の歌」が、
EU統合の象徴の音楽として選定されるのだ。
これは、言わば、「歓喜の歌」が
EUの国歌となったようなものだ。
ただし、メロディーだけが選定されたのであって、
あの「フロイデ,シェーネル ゲッテルフンケン・・・」
というドイツ語の歌詞までが選定されたのではない。
このへん
が、多民族、多言語を抱えるEUの
狡猾な知恵というところか。
さて、この「歓喜の歌」の作曲者、
ルートヴィッヒ・ファ
ン・べートホーフェン。
その姓名を、真正ドイツ語読みすれば
こうなるべートーベンは、
生まれこそドイツのボンだが、
主たる活躍の場は、
これはもう、完全にウィーンだ。
もちろん、第9交響曲もウィーンで作曲・初演された。
亡くなったのもウィ
ーンで、ウィーン中央墓地の楽聖特別区という、
有名音楽家ば
かりの葬られた区画にその墓はある。
<続く>
小生著の古い記事を紹介いたします。
掲載年月日:2008年4月
掲載元:香川日墺協会~10周年によせて
題目:「双頭の鷲の旗の下に」ならぬ「ドイツ語という言語の下に」
筆名:近藤昌紀
より
・EUはドイツ語天国になった。
オーストリアを愛する紳士・淑女の集う日墺協会の会員諸氏
ならば、
オーストリアの公用語がドイツ語である
ということは常識以前の問題と思われるが、
このドイツ語という言語、最近
おおいに羽振りがいい。
というのも、EU(欧州連合)の拡大・東進に伴って、
様々
な少数民族の言語も仲間入りしている中で、
日常生活で使って
いる言語は何語?という視点で見ると、
ドイツ語を生活言語と
している人口が最も多い、
というEUの統計が出たのだ。
それはそうだろう。
地図上で言えば、EUのど真ん中に居座
る
ドイツ、オーストリアはもちろん、チューリッヒや
べルンを
中心としたスイス東部(ただし、スイスはEUに加盟していな
い。)
リヒテンシュタイン、
意外なところではメラーン(イ
タリア呼称ではメラーノ)を
中心としたイタリア北部、
このあ
たりは公用語としてドイツ語が使われており、
従って公共の標
識、看板には必ずドイツ語が登場する。
さらに、ドイツ語とは兄弟、又はいとこ関係にある言語を使う
国、
思いつくままに挙げれば
オランダ語、北部ベルギーのフラ
マン語、
デンマーク、スウェーデン、ノルウェーの北欧3カ国
語、
このへんの国をウロチョロするなら、
ほとんどヤケクソの
ドイツ語をしゃべっても、
結構通用する。
<続く>
・さて、前置きが長くなったが、
本稿の標題、「余はいかにしてワグネリアンとなりしか」
に戻ろう。
だいたい、この標題自体が「文化ペテン師」の面目躍如だ。
内村鑑三の名著「余は如何にして基督
教徒となりし乎」を
もったいなくもパロディー化させていただいた。
しかし、これがあながち出鱈目
なパロディーでないことは、
自信を持って言える。
ヴァーグナーの作品には、
『タンホイザー』や「パ
ルジファル』など、キリスト教、
それもカトリックの思想や伝説に根ざした歌劇・楽劇があるが、
こ
れらの作品を聴いているならば、
序曲の
段階で、もうすでに法悦の境地に入ってしまう魔力がある。
中世キリスト教の聖人アウグスティスス(354~430)は、
著書『告白』の中でこう述べる。
「(前略)きよらかな声とよく整った調子でうたわれるのを聞くと、
歌そのものよりもむしろうたわ
れている内容に感動させられていることを考え、
この(中略)大きな効用をあらためて認識するので
す。
このようにして私は、それがひきこむ快楽への危険と、
にもかかわらずそれが有している救済的効
果の経験との間を動揺しています。
(中略)
それにしても、うたわれている内容よりも歌そのものによって
心動かされるようなことがあるとし
たら、
私は罰をうけるに値する罪を犯しているのだと告白します。」
(山田品訳『世界の名著』14、
中央公論社)
まことにストイックなご発言だが、このお言葉どおりに考えるなら、
約1500年後のドイツに
出現するヴァーグナーの歌劇・楽劇を予言した、
としか言いようのない名言である。
ワグネリアンの
大半は
「うたわれている内容よりも歌そのものによって心動かされ」、
結果、それを聞く者は「罰を
うけるに値する罪を犯している」。
そして、そのようなバチ当たりな世界へ
引きずり込むような名曲
を世に送り出したヴァーグナーは、
魔界の帝王若しくは悪魔の申し子としか言いようがない。
神よ。
このような魔人、若しくはヴェーヌス
(=ヴィーナス:詳細はヴァーグナーの
歌劇『タンホイザー』
の第1幕冒頭部をご覧あれ。)
のとりことなった、哀れなワグネリアンたちを許したまえ。
(念のため
に言っておくが、我が家は先祖代々、真言宗大覚寺派の門徒である。)
・運命の女神ノルンのつむぐ綱が筆者に絡まってきた。
(詳細は、リヒャルト・ヴァーグナー作曲、
楽劇『ニーベルン
グの指輸』全4部作第3夜『神々の黄昏』冐頭部参照)
実は、本稿を著するに際し、
まさに、不思な運命が筆者を導いた、
としか言いようのない事件が
重なった。
その1
前記、平成20年9月4日付け日経新闘の、
中野京子氏のフランンワ1世の行状に係る文を読ん
だ際、
一方で、フランンワ1世とダ・ヴィンチ、
一方で、ルートヴィッヒ2世とヴァーグナーという、
王侯と芸術家の関わりにおいての「共通性」が、
筆者の「文化ペテン師」的インスピレーションをい
たく刺激し
わざわざ、スクラップしておいたこと。
その2
くだんの、フランソワ1世の行状を滅茶苦茶に茶化した
「ヴェルディの傑作オペラ「リゴレット」」
が、
オーストリアはバーデンの市立歌劇場の引越し公演により、
高松市の県民ホール
(以下、命名権
取得により付けられた某企業名は、
名称がやたら長くなるので、あえて記さない。)
大ホールで上演
された9月12日夜の、
まさにその会場で、
筆者は、日独協会役員の最上英明氏とばったり出会い、
「今年は、ヴァーグナー没後125周年に当たるので、
ヴァーグナーに関する文章がどうしても欲し
と、思いもよらぬ依穎をいただいた。
その3
9月4日のスクラップから、わずか1週間の後、
『リゴレット』の公演会場で、原稿依頼を受ける。
その瞬間、筆者の頭の中には、上記『神々の黄昏』旨頭部で、
3人の運命の女神ノルンが、切れた運
命の綱を手に歌う、
「Es riss!(切れた!) 」
という声が響き渡った。
そうなのだ。この、偶然の連続性を断ち切ってはいけない。
「文化ぺテン師」とは言え、
ヴァーグ
ナー芸術の伝道師を自認する筆者の血が騒ぎ、
使命感が体を貫いた。
ということで、重い腰どころか、
腹回り1メートルを超えてしまったメタボリック体を
パソコンの
前にやっとの思いで座らせ、本稿を書いている次第である。
<続く>
実は、この件の先例となったのもヴァーグナーだ。
ヴァーグナーは旅先のベネチアで亡くなったが、
その亡がらがイタリアでなく、バイロイトに葬られているのは、
国葬扱いの特別列車でバイロイトに
送られたからである。
いずれにせよ、ルートヴィッヒ2世の功績は、
晩年のリヒャルト・ヴァーグナーを宮廷に迎え、厚
遇したことだろう。
その恩恵は、単に芸術的な面に止まらない。
時代は下って、第2次大戦後の東西
冷戦時代。
バイロイト祝察劇場が、位置的には、旧西ドイツの、
旧東ドイツ国境に近い場所にあった
おかげで、
旧東側も考えたことであろう。
「鉄のカーテン」を破って西に侵攻し、
ここを占領したりすれば、
旧西側陣営からどのような反撃を食らうか分からない。
それゆえ、少なくとも欧州では、東西
間の熱い戦争は起こらなかった、
と、筆者は本気で考えている。
そして、ル一トヴィッヒ2世の建てたノイシュヴァンシュタイン城や
バイロイト祝祭劇場がドイツ
経済をどれはど潤し続けているかを考えれば、
王の浪費も許される?
さて、フランソワ1世の末期は、平穏であったのだろうか。
少なくともルートヴィッヒ2世の末路
は、平穏ではなかった。
内憂外患で心神がボロボロになった政治には不向きの夢想家王は、
40歳
の若さで精神科の主治医を道連れに、謎の水死をとげた。(合掌)
<続く>
小生著の古い記事を紹介いたします。
掲載年月日:2008年11月
掲載元:香川日独協会会報第14号
題目:余はいかにしてワグネリアンとなりしか
ー運命の女神ノルンのつむぐ綱は未だ切れず、筆者とつながっている一
筆名:近藤昌紀
・日経新聞は裏から読む
日経新聞の裏面は文化欄となっているが、
その内容たるや、経済紙と呼ぶにはもったいないほど、
質の高い文化情報が満載されている。
その上、毎日曜日に、見開き2面をさいて、数回シリーズでテ
ーマを決めて、
世界の名画を総力ラーで紹介する「美の美」欄もあり、
筆者のようなエセ文化人気取
り(にも至らない、どう見ても「文化ペテン師」)にとっては、恰好の情報源となっている。
さて、この日経文化欄の右肩てっぺんに、連続もののコラムがある。
各界の文化人が、好みの、又
は、得意のテーマをもとに、
絵画を主とした、視覚で感知できる芸術作品を、
作品の写真付きの10
回シリーズで紹介・解説するというもので、
写真がモノクロであるのが歯がゆくなるほど、面白い解
説や裏話が出るときがある。
・「歴史は繰り返す」ならぬ「王のやることは繰り返す」
その日平成20年9月4日、私の目を引いたのは、
早稲田大学講師・中野京子氏が解説者となって
8月下旬から始まった、
「尊大な王と悲しみの王妃十選」と銘打った、肖像画紹介シリーズの第5回目
掲載分。
餌食となったのは、フランス国王フランソワ1世。
まずは、その全文を紹介しよう。
尊大な王と悲しみの王妃十選
▽5クルーエ「フランソワ1世像」・
ドイツ文学者中野京子
・(注:原文ではモノクロ上半身写真付き)
(1530年ごろ、96x74センチ、ルーヴル美術館蔵)
巨大な鼻のフランソワ1世は、もうすぐ40歳。
若いころはスペインのカルロス1世と神聖ローマ
皇帝の座を争って戦い、
捕虜にされるなど苦杯を舐めたが、今や国も安定し、贅沢三昧に遊び放題。
おかげで後世、ユゴーによって「王は愉しむ」のモデルにされてしまう(この戯曲がヴェルディの
傑作オペラ「リゴレット」と発展する)。
しかし、王は女遊びばかりしていたわけではなく、
本肖像画に見られるすばらしいファッション・
センス(粋な縦縞!(筆者注:原画をお見せできないのが残念。このへんに注目する著者。中野京子
氏の、女性ならではのセンスが光る。))から明らかなように、芸術の美意識もなかなかのものだっ
た。
フォンテーヌブロー宮殿に多くのイタリア人画家を招聘し、
そこを中心にフランス・ルネッサン
スの花を咲かせたのだ
(フォンテーヌブロー派の官能的な作品群はここから生まれた)。
何よりフランソワ1世の功績は、晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチを宮廷に迎え、
厚遇したことだ
ろう。レオナルドは王の腕の中で死んだ、との伝説さえ残っている。
もちろん事実ではないが、「モナ・
リザ」がイタリアでなく、ルーヴル美術館にあるのは、ひとえにフランソワ1世のおかげと言えよう。
ジョコンダの神秘的微笑みがフランス経済をどれほど潤し続けているかを考えれば、
王の浪費も許さ
れる?
・それからちょうど350年後、ドイツはバイエルン王国で、1人の王が即位した。
さて、このフランソワ1世の行状記を読んでいて、そのやったことが、
ちょうど350年後の、ド
イツはバイエルン王国で即位した1人の王と
そっくりではないかと頭に浮かんできたなら、
あなたは相当のヴァーグナー狂。
失礼。もう少し品良く言うなら、熱烈なるヴァーグナー愛好者、
いわゆるワ
グネリアンであろう。
とにかく、上記解説を少しパロディー化すれば、
このバイエルン国王と、この
王を食いものにして名声を不朽のものとした、
リヒャルト・ヴァーグナーという寄生虫的大作曲家の
物語が出来上がる。
では、さっそく、上記文章をデッドコピーした上で、パロってみよう。
悲しみの狂人王と尊大な寄生虫的作曲家
パロディスト近藤昌紀
土産物として大人気「ルートヴィッヒ2世像」
(南ドイツのバイエルン州、特に日本人好みのロマンティク街道を旅した人ならば、
現地の土産物屋
に一足、足を踏みいれた途端、
この人の肖像(又は、ヴァーグナーの肖像とセットになっている場合
も多い)の入った
土産物に埋め尽くされている店頭に唖然とされた方も多いのではないか。)
洒落た軍服に身を包んだ、すらりとした美男子ルートヴィッヒ2世は、
1864年、19歳で即位。
宝塚歌劇で有名になった「エリーザベト」・オーストリア=ハプスブルク帝国皇后とは
近縁の親類で
ある。
即位当事のバイエルン王国は、国も安定し、贅沢三昧も可能で、
幼い頃から傾倒していた大作
曲家、巨大な鼻のリヒャルト・ヴァーグナーを招聘し、
放蕩三昧をさせる。
[注意1]ここまでは、すべてドイツ語なので「ルートヴィッヒ2世」
おかげで後世、
イタリアの、自身も貴族階級出身の映画監督、ルキーノ・ヴィスコンティによって、
主従ともども、名画『ルードヴィッヒ』のモデルにされてしまう。
[注意2]ヴィスコンティはイタリア人なので「ルードヴィッヒ2世」
また、森鴎外も、彼がドイツ留学・
滞在中に知った、
この王の死にまつわる悲劇を題材に、『うたかたの記』を上梓する。
しかし、王は女遊びには縁がなく、
彼の肖像に見られるすばらしいファッション・センス(その実
はナルシストであった。)は、男性に向けられたものであり、男色家として、より名を馳せた。
このこ
とから明らかなように(?)、芸術の美意識もなかなかのものだった。
ドイツオペラを代表する偉大
な作曲家、リヒャルト・ヴァーグナーを招聘したのみならず、彼の舞台芸術を地上に具現したかのよ
うなノイシュヴァンシュタイン城、
ヘレンキムゼー城、リンダーホーフ城を築き、
ヴァーグナーの作品を中心に催されるバイロイト音
品の理想的上演の場として、
バイロイト祝祭劇場を建てさせた。
楽祭により、ヴァーグナーの芸術は花を咲かせたのだ
(彼の最後の作品『パルジファル』は、彼の遺
言により、
死後も長い間、この劇場以外での上演が許されなかった)。
この状況は、今も変わらない。
余りの人気に、世界で最もチケットの取りにくい劇場と言われ、
毎
年夏の初日には、欧州各国首脳が集い、観劇外交を展開する場ともなる。
オペラ愛好家であり、かつ、ワグネリアンとして名を馳せている小泉元首相が、
2003年8月の
中欧数カ国訪欧時、
訪問国のひとつ、ドイツのシュレーダー首相に頼み込んで、
バイロイト音楽祭で
ヴァーグナーの歌劇『タンホイザー』を鑑賞したことが
マスコミをにぎわしたが、このオペラ鑑賞に
ケチを付けた国会議員がいた。
思想的な問題よりも、政府専用機を使って観劇に行くとはケシカラン、
と、
実に形而下学的な発想の発言であったように記憶するが、
このような方々が、国会で教育や
文化を論議していただけるとは・
・・。
いやはや、いい国である。
日本という国は文化あるいは文化人に対する敬意が、
文化大国(?)を標榜するには少々不足しているのでは?
対極にある例を揚げておこう。
アルゼンチン出身の作曲家、アストル・ピアソラといえば、
サントリーかどこかの宣伝で、
世界的チェリストのヨーヨー・マがその作品を演奏して、
にわかに日本で有名になった作曲家だが、
この人は晩年をパリで過ごしていた。
1990年、ピアソラは、そのパリで脳溢血に倒れる。その情報が世界を駆け巡るや否や、当事の
アルゼンチン大統領は、「わが国の英雄を外国で死なすわけにはいけない」と、大統領専用機をパリに
飛ばし、療養中のピアソラを母国に連れて帰る。ピアソラは何とか命脈を保ち、その2年後、ブエノ
スアイレスで死去する。
<続く>
最初に、
これは新コロ対策でマスクを着用し続けなければならない境遇にある、
三十路過ぎの女性に与ふる警告の書であることを、
お断わり申し上げておく。
筆者が平日に日々顔を合わす女性の中で、ドラ娘と同世代の人が1人いる。
ドラ娘が昭和最後の9月生まれなら、この女性は平成最初の8月生まれ
ということで、ドラ娘とは1年足らずの同世代であり、
離れて暮らすドラ娘の行動様、容貌の変容などを伺い知るうえでは
格好の代替サンプルであり、注視していた。
といっても、昨年の今頃の筆者は“注視”などできる状態ではなかった。
左眼の白内障がどうしようもなく悪化し、
6月の人間ドックでは、視力検査器具をのぞいても、
ことごとく真っ白で何も見えない。
眼科で矯正しまくって0.02とかで、
左眼だけでものを見た場合、1m前にいる人の顔の存在は分かっても、
目鼻口は全く識別できない、のっぺらぼうに見える。
車を運転していて信号待ちのため停車したとき、
左眼だけで前の車のナンバーを見ても、さっぱり数字が読めない。
ナンバープレートの存在は分かるが、真っ白にしか見えない。
右眼を開けば、かろうじて数字は読めたかな、の状態だ。
事実上、あの頃の筆者は、
右眼の裸眼視力0.8だけを頼りに生きていたようなものだ。
追い討ちをかけるように、今年2月の誕生日を境に、
車の運転免許、小型船舶2級の海技免許の更新年が重なり、こ
のままではどちらも免許を取り上げられることは必定。
「白内障の手術ほど、人を幸せにする手術はありません」と
いう行き着けの漢方薬局の店主の言葉に背中を押され、
事前検査や諸手続きを経て、12月24日に手術を断行。
このための検査時、係りつけ医、手術医ともに、ハンで押した
ように「よく濁ってますねえ」と言う状態だったから、
それなりに重症だったのだろう。
しかし、漢方薬局店主の言葉に全くウソが無かったと言えるのは、
手術台に寝るまで、例によって医師・看護師の顔はろくに見えない。
左眼を開けて、手術医の
「青いランプの光が見えますか?それをじっと見ていて下さいね。」
で手術は開始されたらしいのだが、
その後も、痛くもかゆくも無いとはこのことだ。
10分も過ぎた頃だろうか、看護師の「もうすぐ終わりますからね」の声
と前後して、物を吸い取るような機械音。
多分、あれは破砕した水晶体を吸い
出していたのであろうと思われるが、看護師の
「はい。終わりました。上体を上げてください。手術台から降ります。」
の声とともに、周りを見渡すと、何と、総てが見える。
医師の顔も看護師の顔も。
いい歳をして、思わず「見える!見える!」を無意識に連発する筆者。
正味15分程度の手術で、片目だけの手術のため、
お泊りはなく、処方箋薬局で薬等をもらったら、
1時間後には防護メガネをかけて、とは言え、職場復帰。
暗澹たる人生を送ったその年の盆・正月の悲哀がクリスマスイブに一転した。
で、年が明けて執務を開始するや、ひとつのことに気が付いた。
業務用パソコンをにらんでいて、疲れ休めに目を上げると、
はるか向こうにくだんの三十路になり立ての彼女の顔が見える。
手術後しばらくしての検査では、両眼とも視力1.5という
驚異の若返りをした筆者の目だったから、
手術前には存在すら
見えたかどうか分からない彼女の目鼻立ちまでくっきりと見える。
女性職員は彼女の他にもいるが、視線の横にいて見えないか、
背中しか見え
ないかだったし、
彼女の前にいる男性職員は外出の多い業務だったから、やた
ら彼女の顔ばかり見える。
視力回復後の成果として、彼女のご尊顔を拝しつつ、
人生後半の懸案解決ができたことの有難味を痛感する日々となった。
で、彼女は2018年6月30日の本ブログ掲載した、
首から上は「3日で飽きる」美女か、「3日で慣れる」美女か。
ある部分の特徴を横に置いておけば、全体的雰囲気は、
故森本草介画伯描く、純和風美人の系統を引くと言っていい。
目鼻立ちが外人ほどに大げさなつくりでない、
しっとりとした雰囲気の顔立ちではあるのだが、問題(?)は鼻より下だ。
その特徴を端的に述べるなら、西洋史に首を突っ込んだことのある人なら、
その名を知らぬ者はないであろう、大航海時代後には「日の沈まない帝国」を
造り上げた、オーストリア及びスペインの両ハプスブルク家一族の身体的特徴
として、遺伝学の格好の材料ともされるその容姿を、なぜか日本人の彼女が持
っているのだ。
まあ、他の日本人でも、例えば故永六輔氏の口から下を思い出せばいい、
と言えば見当はつくであろうが。
この顔面的形質の特徴として、永六輔氏の話し方を思い出すと分かるが、
何か舌足らずなペチャペチャッとした話し方・発音になる。
これは、オーストリア女帝マリア・テレジアの娘にして、
まさにハプスブルク家の形質をそのまま引き継いだ、
フランス・ルイ王朝最後の皇后となったマリー・アントワネットの顔も
話し方もそうであったという記録が多々残っており、実は、筆者の視線
の先に在る彼女も、そういう顔と話し方というか、発音の気を持っている。
その話をもろに言わず、彼女に、
「もしかしたら、あんたの祖先、ハプスブルク家出身ちゃうか。
それとも、ハプスブルグ家の落し胤の末裔?」
と、彼女、その後、ハプスブルグ家一族の容姿の事を調べたのかどうか、
「あんまり訳の分からん事、聞かんとって!」
ときた。
目が良くなった恩恵はまだ続く。
少なくとも、この彼女が2018年6月30日ブログに書いた、
これは間違いなく「首から下美人」であることも分かった。
今年の2月、彼女、外出する業務があり、たまたま着ていた上着を脱いでいたの
だが、防寒対策でか、体に密着した黒いセーターを着ていた、
そのシルエットが、まさに森本草介画伯描くモデルそっくり。
出るところは、(外人女性的出過ぎをしない程度に)出て、
細くなるべきところは、細くなり過ぎない程度に細い。
森本画伯描くモデルさんは、隠れた部分も均整が取れているためか、上に何
を着ても、出るところは出、引っ込むところは引っ込んでいる。
そういう目で彼女を見ていると、上に何かを羽織っていても、
体を曲げたり、立ったり座ったりの所作の随所で、
これはボディーラインが不細工ではこうはならないと思えるシーンが散見される。
たまたま窓から差し込む西日を避けるため、遮蔽の紙を貼る必要が出たとき、
森本画伯の画集から、妖しい着衣ではない地味な着衣でも基礎となるボデ
ィーラインがしっかりしていると画家の目にもこう映る、
というページを何枚か拡大コピーして貼り、た
またま彼女が近くを通ったときなど、
「うわっ、あの絵そっくり」
と、まあ、筆者からすれば美女礼賛的言葉で(彼女の首から下を)賞賛した。
その彼女が、新コロの影響で職場にもマスク着用令が出され、
4月くらいからマスクを付け始めたから、もう数ヶ月、
彼女のハプスブルク家的特徴は隠され、「マスク美人」生活が続いている。
昼食は、彼女、弁当派のため、それを食すときとか、飲み物を飲むときは
マスクをはずすのだが、
ある程度離れているから別段変化は感じなかったのだが、つい最近、
マスクを外した彼女と間近で話すことがあって仰天。
わずか数ヶ月の間に彼女の口周り、見事にオバサン化していたのである。
マスクのせいなのか、
マスクをしているせいでお肌のお手入れがしにくくなっているのか、
ほうれい線が出ているとまでは言わないが、光と影の関係で、悪い意味でえらく
不要な彫りが深くなったようで、マスクをはずした途端、わずか数ヶ月の間に
浦島太郎化したというか、浦島太子になってしまった。
世の三十路を過ぎた女性に申し上げる。マスク美人化で、
目元からひたいあたりまで綺麗にしてれば事は済むと、油断されていないでしょうな。
というより、無理な対策はしなくてよろしい。
頻繁にマスクを取って、鼻から下の地肌をさらけ出し、男
性の目を慣らしておきましょう。でないと、このまま長期に
マスク生活を続けることにでもなれば、
ようやくマスクが取れたあかつきには、
「はて、どこのオバサン?」と言われかねませんぞ。
